医師はどう育てられてきたか(前編)

みなさんは今の臨床研修制度をよいものだと感じていますか?「何で地域医療が必修なのか」、「早く専門を学びたい」、「研修医の給料で生活していけるのか」といったいろいろな疑問を持つ人もいるでしょう。また、「今のやり方で良い医師を育てられるのか」という疑問を持つ人もいるでしょう。しかし、今の制度は以前に比べて悪くなったのでしょうか。医師養成の歴史を紐解いてみましょう。

1946年

インターン制度開始
無給で働かされる時代

国家試験受験前に、卒後1年以上の診療を実地修練として行うことが必要とされた。
無報酬の労働、医師免許を持たないままでの診療といった問題が、学生運動の流れとあいまって大規模な国家試験のボイコットに至った。

 制度が数年ごとに変わり、研修病院選びに悩まされ、マッチングの結果に振り回される…。なぜこんな厄介な制度があるのか、と感じるかもしれません。しかし、1946年に導入された「インターン制度」に始まる戦後の医師養成は、今よりもずっと問題の多いものでした。この時代は、医学部卒業後に1年の「実地修練」を経なければ国家試験を受けられず、さらにインターンの間は「学生でも医師でもない」という中途半端な身分のまま、ほぼ無報酬で医療行為を行わされるのが常でした。インターン生のみならず患者をも危険にさらす状況に強い不満を持った医学生が、当時隆盛だった学生運動の流れに乗り、大規模な国家試験のボイコットを行いました。これを契機として1968年に医師法が改正され、学部卒業時に医師国家試験を受けるという、今となっては当たり前の制度がスタートしたのです。


1968年

努力規定としての臨床研修
インターン制度廃止後の卒後教育

医師免許取得後、2年以上の臨床研修が努力規定として導入された。
・1980年 ローテート方式導入
・1985年 総合診療方式導入
この頃より、徐々に市中病院が臨床研修病院の指定を受けるようになった。

 インターン制度が廃止されると、卒業後2年間の臨床研修が努力規定として課されました。しかし実際には、卒業後大学の医局に入局する人が大多数でした。当時の内科や外科は「第一内科」「第二内科」などのいわゆる“ナンバー制”が主流でした。一つの内科医局の中には、今でいう循環器内科や消化器内科といった臓器(疾病)ごとの専門家が揃っていたため、一通り内科全般の研修はできたものの、その枠を超えた、例えば外科や精神科の研修を受ける機会は乏しかったのです。

 そのような中、1985年には、臨床研修で幅広い分野を経験する「総合診療(スーパー・ローテート)方式」が始まり、市中病院が臨床研修指定病院として医師養成に関われるようになりました。しかしその動きは一部にとどまり、多くの研修医は大学病院でそれまでと同様の研修を受ける時代が続きました。


1994年

臨床研修必修化への動き
求められる幅広い診療能力

総合診療方式導入後も、研修医の多くが、医局関連の単一診療科による専門重視の研修を受けていた。研修医の給料は安く、アルバイトをせざるを得ず、研修に専念できない状況であった。このような背景から臨床研修必修化の動きが本格化した。

 市中病院が臨床研修を行う体制は拡がらず、多くの研修医が大学の医局に入る流れは続きました。そして臨床研修の内容の多くは、依然として専門の診療科に偏ったものでした。

 自分の専門領域以外でも医師として最低限の診療ができるようになるには、臨床研修の中で内科・外科など基本的な科の診療を一通り経験することが必要だと考えられるようになりました。また、大学病院には研修医の給与水準が低い所もあり、研修への専念義務もなかったために、当直などのアルバイトをする研修医が多く、研修に集中できないことも問題として指摘されました。

 そのような流れを受けて、1994年に臨床研修の必修化に向けた提言がなされたのです。


医師はどう育てられてきたか(後編)

2004年

臨床研修必修化
現在の臨床研修制度の確立

2000年に医師法が改正され、2004年より現行の臨床研修制度がスタートした。診療に従事しようとする医師は、2年以上の臨床研修を受けることが必須となった。
プライマリ・ケアの基本的な診療能力の修得と、研修に専念できる環境の整備に主眼が置かれた。

 医師法の改正により、2004年から現行のマッチングシステムを伴う新医師臨床研修制度がスタートしました。新医師臨床研修は、

①医師としての人格の涵養
②プライマリ・ケアへの理解を深め患者を全人的に診ることができる基本的な診療能力を修得
③アルバイトせずに研修に専念できる環境を整備

を基本三原則とし、内科・外科に留まらず多くの診療科が必修となり、アルバイトも禁止となりました。

 このような制度整備と同時に、専門分化が進んだ医療の中で「広く全般を診れるようになりたい」という考え方も普及していきました。しかし同時に、地域の医療崩壊の危機につながったなどという批判もあり、臨床研修と医師不足の問題が関連してとりあげられるようになりました。


2010年

臨床研修制度の見直し
一部地域で医師不足が深刻に

現行の臨床研修制度がスタートした後、一部地域で医師不足が深刻化した。これに対応するため、都道府県別の募集定員の上限が設定された。
研修プログラムの自由度が増し、必修は内科・救急・地域医療のみに、外科・麻酔科・小児科・産婦人科・精神科から2科が選択必修となった。

 「医療崩壊の危機」の背景には、地方の基幹病院などの医師不足があります。臨床研修が必修化される前は、多くの研修医が大学の医局に入り、関連病院で初期・後期と研修していくことを通して、地方にも医師が行き渡っていました。ところが臨床研修必修化に伴い、マッチングで市中の研修病院を選ぶ人が増えたことで、都市部や人気病院には研修医が集まる一方、一部の大学・地域では医師が不足する事態が生じたのです。初期研修医の減少は、後期研修以降の医師の減少にも繋がりました。

 このような、地域による医師の偏在を防ぐため、都道府県別に研修医の募集定員の上限が設定されました。また、一律に多くの必修を課すことが意欲低下に繋がる場合もあったことから、必修を減らす制度改正も行われました。病院ごとの臨床研修プログラムの自由度が増し、個々のニーズに応じた研修がしやすくなりました。



時代に応じて医師養成制度は変わってきた

 臨床研修の変遷を見れば分かるように、今は当たり前と感じられる「医学部卒業時に国家試験を受けること」や「臨床研修を受けること」も、時代の要請や様々な先人たちの問題意識を踏まえて制度化されてきたものなのです。10年前、臨床研修は必修化されていませんでしたが、今や臨床研修もマッチングも当たり前のものになり、すでに小規模な改正も行われています。

 このようにめまぐるしく変化しているのは臨床研修制度だけではありません。数十年前にはCTもMRIもエコーもなかったのに、今ではヒトゲノムが解読され、疾患の病態の理解や治療技術もどんどん進んでいます。社会の情報化は急速に進展し、患者自身が膨大な医療情報・知識にアクセスできるようになりました。今後も社会は大きく変化し、求められる医療のあり方も変化し続けていくことでしょう。そして、その変化に応じて医療制度も改善される必要があります。だからこそ、医師自身が広い視野を持って、「どのような医療が必要なのか」「どのような医師が求められているのか」を考え続けることが期待されるのです。


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