interview 黒川 清(前編)

UCLA教授、東大教授、東海大学医学部長、日本学術会議会長などを歴任した黒川清先生。東大医学部を卒業して数年で渡米し、14年もの間アメリカの大学に在籍。当時、東大の医局でのキャリアを捨てて、その経歴が全く通用しない海外に出て行く選択をする人はほとんどいなかった。そんなパイオニアにとって、今の時代はどう見えているのか。そして、これからの医学生に対してどのような期待をしているのか。先生の1時間半の熱いレクチャーを、紙幅の許す限りで紹介したい。

グローバル世界

この20年、世界は激変しました。「グローバル世界」です。日本の経済成長は止まり、みなさんは物心ついた頃から、あまり明るい話を聞いたことがないと思います。世界は相互依存を強めながら予想を超えるスピードで変化していくでしょう。
グローバル世界は、「タテ」ではなく「ヨコ」へ広がる世界です。そこでは、周囲と異質であること、つまり「ユニーク」であることが、大きな価値と可能性を持つようになります。そして将来を担う同世代が、相互理解を深めること。国家を超えた、多様で多彩な個人のつながりと信頼こそが、これからの世界には必須の要件です。

このような時代は以前にもあった、と黒川先生は語る。そこで出てきたキーワードは「インクナブラ」。グーテンベルクが15世紀に発明した活版印刷術によって、それまでカトリック教会が独占的に解釈していた教義が社会に広まった。印刷された聖書、記録、すなわち一次情報に触れられるようになったことで、中世には絶対的であった「教会の解釈」に懐疑的な見方がなされるようになり、教会の権威が低下したのである。その時代の約50年にヨーロッパで印刷されたものを、「インクナブラ」と呼ぶのだそうだ。

現代の「インクナブラ」

グーテンベルクの発明から100年後に起こったのは宗教改革でした。つまり、情報が多くの人に広まっていくと、人は必ず、「常識」、「真実」、「権威」を疑うようになります。それまで情報を持っていた人の権力が、一般の人に移っていくのです。ルネサンスも、印刷による情報の拡がりや蓄積によるものだと言えます。
インターネットは現代の「インクナブラ」です。今までアクセスできなかった情報に、みんながアクセスできるようになる。もう、元には戻りません。どんどん加速します。今まで閉じた世界で権力を独占していた人たちは、それでは困る。だから抵抗もあるでしょう。
けれど、これからはあなたたちの時代です。確実に世界は変わります。グローバルな世界で医師になり、自分だけの価値を出すには、ユニークな自分のキャリアをつくっていく必要があります。あなたたち一人ひとりの選択です。

グローバルな世界で生きていくために、黒川先生は「とにかく外に出ることが重要」だと、若者に説き続けている。

海外に出ること

私は特に、海外に出てみることをみなさんに勧めます。なぜ「海外」か。それは、グローバル世界の課題と自分の可能性に気づく機会が、飛躍的に増えるからです。
やりたいこと、目指したいロールモデルは、人によって違います。それを、日本の均一性の高い1億2千万人の中から探すのと、70 億人の中で探すのでは、出会える可能性が全く違います。海外に出たほうが、圧倒的にそのチャンスが増えるのです。
そして、頭で考えているだけでは賢くなれない。感覚を研ぎ澄ませて実体験をしない限り、本当の知恵は身につかないのです。実体験をもとにした自分の価値観を持ったとき、はじめて自分のやりたいことやキャリアの道がわかるようになるのです。
インドに行って実際に貧困を目の当たりにした途端、「これが自分のミッションだ」とピンときた若者を知っています。留学先で知り合ったケニア人の家に遊びに行ってみたら、貧しい村なのに本当に親切にしてくれて感動したという若者もいました。そういう気づきや感動があれば、「自分は何をしよう」ということが自然にわかってくる。それは心のときめきか、直感か。感動することは、人によって違います。「これだ」というものが見つかれば、自分のモチベーションや目標が定まってくる。いろんな障害があっても、目標があればどうにかやっていけます。これが私の一生の仕事だと思えるようになるのです。自分を見つけるためなら、思い切って「休学する」というのは、賢い選択です。

 

interview 黒川 清(後編)

弱さを知る

海外に出てみると、大きな枠組みで、日本を見るようになります。
ずいぶん前の話ですが、私は、日本の組織から独立した「個人」として、米国の大学へ留学しました。そのうち、「外から見える日本」がよく見えるようになりました。良いところも、弱いところも。気になるのですよ、自分の国ですから。日本のことを、内心みんな思っているから、1か月もすると、突然日本を思う気持ちが強くなってくる。それから、日本のことを愛おしいと思うような、健全な愛国心が自然に出てくるんです。
日本を外から見ると、日本の良さ、強さ、そして弱さを感じ取れる。さらに、自分の良さ、強さ、弱さも感じ取れるようになります。それは違った環境に出てこそ、はじめて認識できるものであり、グローバル世界ではとても大事なことです。自分を過信せず、謙虚であること。その謙虚さこそが、本当の自信を生み出すでしょう。意識が大きく変わっていく、成長していく自分を実感するでしょう。


日本を一度出てみて、はじめて世界に自分が存在する意味を見出すことができるようになる。それは医学生に限らず、多くの学生・若者たちへのメッセージとなり得るだろう。ではそのなかで、「医師であること」はどのように活かしていけるのか。

医師という仕事

医師は、病気の人、人の死に際、人間の一番弱い時間を診る仕事です。ここまで一人ひとりの生活や悩みを知ることのできる仕事はなかなかありません。患者さんを診るだけで、自分の世界が広がっていくはずです。こう考えると、こんなに素晴らしい仕事はありません。
そして、医師という仕事はいろんな形で社会に関われます。どこに行っても働けるし、パートでもできる。私のように、医師としてのキャリアを活かして、政策や教育の仕事をすることもあります。選択肢が多いし、独立した個人としても活躍できる恵まれた職業です。
私は、自分の最低ラインは、子どもたち2人が大学を卒業するまで、アメリカで食べさせることだと決めていました。アメリカでキャリアを積めば積むほど、日本に帰りにくくなった。今帰ったら、医局で1年目から始めることになるのかと、真剣に考えていました。
けれど、予想もしなかったいきさつで、私は自分が飛び出した東京大学に、教員として帰ってきました。それ以来、多様な機会をいただき、その都度、「世界の中の日本」という枠組みで、自分の責務を果たしてきたつもりです。

だから、外に出よう

そんな私のミッションは、「若い人たちに、そういう世界があるんだと実感してもらうこと」。私のやっていることをやれと言っているわけではないのです。
学生の間は、何をやりたいのかを探す旅だと私は思っています。何をやりたいかは人によって違う。外に出てみて、「自分は大したことがない」と気づくかもしれないし、「結構自分はやれるじゃん」と思うかもしれない。いずれにせよ、あなたを待っている世界が必ずあります。
それは、もしかしたら日本の中かもしれません。それがわかれば、日本でやったっていい。
That’s your life, that’s your career. 
若いうちに、世界の中で何をやりたいか見つけてほしい。すばらしい将来があることにもっとワクワクしてほしいと、私は思います。

黒川 清
政策研究大学院大学 アカデミックフェロー
1962年、東京大学医学部卒業。1967年、同医学研究科大学院にて医学博士を取得。1969年アメリカに渡り、ペンシルバニア大学医学部にて助手を務める。その後、教育、研究、診療に従事。1979年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教授。1983年日本に帰国。1989年、東京大学教授。1996年、東海大学医学部長に就任。1997年、東京大学名誉教授。2003年より、日本学術会議会長、内閣府総合科学技術会議議員。2006年から2008年にかけて、内閣特別顧問を務める。2006年より、政策研究大学院大学教授。2011年、日本の憲政史上で初めての国会による東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長を務める。