医学生×宗教者(僧侶) 同世代のリアリティー

宗教者(僧侶) 編-(前編)

医学部にいると、なかなか同世代の他分野の人たちとの交流が持てないと言われます。そこでこのコーナーでは、医学生が別の世界で生きる同世代の「リアリティー」を探ります。今回は「宗教者(僧侶)」をテーマに、僧侶3名(僧侶D・E・F)と、医学生3名(医学生A・B・C)の6名で座談会を行いました。

今回のテーマは「宗教者(僧侶)」

お葬式などで故人や先祖の供養を行う僧侶。医学生からは一見縁遠く思われる彼らには、心や身体が弱った人に関わるという点において、医師と様々な共通点があるようです。

お坊さんだって十人十色?

医A:今回はお坊さんとお話できると聞いて、楽しみにして来ました。同じ仏教でも様々な宗派があると思いますが、みなさんはどちらの宗派なんですか?

僧D:私は浄土宗の僧侶です。実家がお寺で、東京の仏教系大学で4年間学んだ後に京都で2年間の修行をして、今は東京に戻ってきてお寺でお勤めをしています。

僧E:僕も浄土宗です。僕は浅草に住んでいるんですが7、自分のお寺が浅草に一軒と、あと小笠原諸島に一軒ありまして、たまに1か月かけて行っています。今は自分のお寺の手伝いに勤しむ身です。

僧F:私は日蓮宗の僧侶で、今は仏教教団が共同で結成した公益財団法人で働いています。土日は寺の方に行って僧侶としての仕事をしているので、半分僧侶で半分サラリーマンという感じですね。

医B:お坊さんの仕事といえば、お葬式でお経を読むイメージがあるんですが、他にはどのようなものがあるんですか?

僧E:例えばお墓の後ろに木の板があるのを見たことがありますか?あれはお塔婆といって先祖を供養するためのものなのですが、それを筆で書くのも僧侶の仕事です。また、全ての僧侶が行う訳ではないのですが、僕は法要の前などに雅楽を演奏しています。雅楽は日本古来の音楽で、その演奏は笙(しょう)などの伝統的な楽器で編成されます。また規模の大きいもので言うと、東日本大震災の際には宗派ごとに、もしくは宗派を超えて、追悼法要を行いました。

医C:私も追悼法要の様子をニュースなどで目にしたことがあります。個人のお葬式以外にもお坊さんにはいろんなお仕事があるんですね。ところで、お坊さんになるためにはどうすればいいんですか?

僧D:宗派によって違うと思いますが、僕のように仏教系の大学で4年間学んだ後で、一定期間の修行をするのがスタンダードな方法だと思います。他にも、一般の大学を卒業した後に、仕事をしながら僧職を目指すことも可能なんですよ。

医B:仏教の大学ではどういうことを学ぶんですか?

僧D:各宗派の歴史を座学で学ぶほか、例えばお経を読む授業もあって、姿勢や声色などを実践形式で指導してもらうんです。

医A:仏教の大学と聞くと、僕ら医学生もそうですけど、閉じられた世界なのではという気がするんですが、どうですか?

僧E:そうですね、仏教系の大学には僧侶を目指さない一般の学生もいるんですが、やはりよく話をするのは同じ学部の学生です。狭い世界ですから、自分から積極的に働きかけない限り、視野は広くならないと思います。

医A:僕らも結構そういうところがあって、「医者は変な人が多い」ということをよく言われるんですけど、外の世界を見る機会が少ないのが原因なんじゃないかなと思っています。

お寺を継ぐ、ということ

医C:実家がお寺でなくても僧侶になることはできますか?

僧E:一般家庭から僧侶になる人は結構多いですよ。本当に仏教をやりたくて来ているぶん、実家がお寺の僧侶よりも熱心なこともありますね。いったんお寺に手伝いみたいな形で入って、後継ぎがいないお寺が出たら住職になる、というパターンがあります。

僧F:医学部もけっこう親御さんがお医者さんって学生が多いじゃないですか?

医A:僕の周辺だと、半分くらいが医者の子息ですね。看護師や薬剤師などを入れると6~8割くらいが医療関係者の子どもじゃないかと思います。

僧E:親が開業医だと、やはり継がなきゃいけないという意識を持つ学生が多いですか?

医B:たしかに家を継ぐために医学部へ進学した人もいますが、親の仕事を見ているうちに自然と医師を目指すようになったという人も多いですね。

僧D:私は実家がお寺で、4人の兄弟のうち私を含む3人が僧侶になりましたが、実家は兄が継ぐので戻ってこなくてもいいぞ、と言われました(苦笑)。でも田舎のお寺の大変さも知っているので、継がない人生もいいのかなと思っています。

同世代のリアリティ

医学生×宗教者(僧侶) 同世代のリアリティー

宗教者(僧侶) 編-(後編)

社会の苦しみに寄り添える人材を

医C:医師は診察などの場面で患者さんと接して、身体だけでなく心もケアしていかなければなりません。お坊さんも、弱った人に対してお説教をすることがあると思うんですけど、それはどのように学んでいくものなんですか?

僧D:同じお寺の住職が説教するのを聞いて学んだり、自分で勉強したりもしますが、やはりそういう弱っている方に対しては、押し付けがましくせず、一緒に共感することが大切なんじゃないかと思っています。

医A:いま病院実習をしているんですが、入院患者さんのなかには、もう施せる治療のない、終末期の方もいるんです。そういう方に対して、もちろん医療側からできるケアもありますが、同時に別の側面から患者さんの心をケアしてあげられればなあと思うことがあります。お坊さんが患者さんにカウンセリングなどを行う機会はありますか?

僧F:キリスト教には、病院など教会以外の場所で働くチャプレンという聖職者がいます。私の宗派では臨床仏教師という、病院で終末期ケアなどを行う仏教者を養成し始めたところです。仏教の立場から、社会のいろんな苦しみに寄り添える人材を育てていければいいですね。

医B:患者さんの心に寄り添うという役割を今は主に医師や看護師が担っているのですが、そういうところでお坊さんたちと協力していければ、患者さんにとってもいいですね。

お寺の敷居・病院の敷居

医A:医学部の学生は、「頭良いんでしょ」とか「お医者さんになるんだ、立派だね」など、色眼鏡で見られることが多いんです。その点、お坊さんも同じなのかなと思っていて、「お坊さんは品行方正であるべきだ」とか「優秀で曲がったことはしないはず」といった目で見られることが多いんじゃないですか?

僧D:そうですね、例えば絶対に遅刻しちゃいけないとか、そういうことを意識することはあります。ただ、仏教に対するイメージという意味では、違うものを感じることが多いです。みなさんは「葬式仏教」という言葉を聞いたことがありますか?現代の僧侶はお葬式でしか一般の人と接する機会がないということを揶揄する言葉で、仏教に対する悪いイメージとして定着してしまっています。もちろん、お寺の外に出て社会に広く働きかけようとしている僧侶も多いのですが、そういう悪いイメージを払拭するためには、自分たちの活動をもっと外に発信しなければならないという反省を持っています。

僧E:ホームレス支援を行っているお坊さんもいますし、僕はお寺で電話相談室をやっていて、悩みがある方はどんなことでもいいので電話を下さいというチラシを配っています。

医C:それは無料でやってらっしゃるんですか?

僧E:もちろんです。そして、情報発信と同じくらい大事なのは、お寺の敷居を下げていくことなのかなと思います。例えば悩みがある時に、ふらっと教会に行く人はいても、お寺に来る人って本当に少ないんです。でも僕たちとしては、ぜひ若い人にも気軽にお寺に来てもらって、話をしていってほしい。そのためには、お寺に対する敷居を今よりもっと下げるための活動をしていかなければなりません。

医B:うちの近くには、お坊さんがやっているカフェバーがありますが、それも仏教に対する敷居を下げるための働きかけの一つなんでしょうね。

僧F:そうですね。土日に写経の教室を開くお寺や、他宗派だと座禅の体験を行っている所もありますね。そういうものをきっかけにして、話しやすい場を作っていくのが大事だと思います。

医A:ちょっと思ったんですけど、その敷居を下げすぎると逆に有り難みが減るということはないんでしょうか?敷居が高いからこそ、葬式に来てもらった時に有り難みが増すという側面があるのではないかと思うのですが。

僧D:たしかに、有り難みとは少し違いますが、僧侶をやっていくうえで信頼関係はとても大切だと思います。けれど、敷居が高ければ信頼が増すという訳ではないですよね。信頼関係をどう築くかという観点に立てば、仏教をもっと身近に感じてもらい、既存の仏教に対するイメージを変えていくことの方が重要だと思っています。

医C:確かに医療の世界でも、「自分は医師だから偉いんだぞ」という態度の医師からは、患者さんが離れていってしまいます。大学でも、患者さんと同じ目線に立つようにとよく言われます。

医A:結局のところ、医師がみているのは病気じゃなくて、患者さんなんだ、ということだと思います。パソコンの画面やカルテばかりを見ている医師と、しっかりと患者さんに向き合って話を聞く医師では、得られる信頼は自ずと変わってきますから。今日は日頃お会いする機会のないお坊さんから話をお聞きできて、人の心への寄り添い方にもいろんな形があるんだなあと感じました。これもご縁ですね。ありがとうございました。