信念と広い視野を持てば、働き方は選択できる
~研究医 細谷 紀子先生~(前編)

細谷先生

今回は、東京大学で診療と放射線生物学の研究と教育に携わり、医師としての仕事と家庭を両立しながらキャリアを積んでこられた、細谷紀子先生にお話を伺いました。

もともと研究を志していた

藤巻(以下、藤):先生は、基礎医学分野の女性研究者として研究・教育を本務としながら、男女共同参画委員会の委員としてもご活躍されていますね。

細谷(以下、細):はい。私は東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センターで、放射線生物学の研究と教育を主に行っています。研究テーマは、DNA損傷に対する生体の応答の制御機構を分子レベルで解明するというもので、研究を通じて、がんのゲノム不安定性を標的とした新しい治療概念を提唱することを目指しています。他にも、医学部学生や大学院生の講義・実習を行ったり、血液内科医として外来診療を行ったり、様々な委員会活動に参加したりしています。

藤:先生が医学の道を志したのは、いつ頃でしょうか。

細:高校生の頃でした。生物の授業で、DNAや減数分裂について学んだことがきっかけで、生命科学に携わりたいと思うようになりました。ただ、医学部で学ぶうち、まずは人を診たいと思うようになり、卒業後は内科研修から始めました。そして将来的には基礎と臨床をつなぐような研究がしたいと当時から思っていました。

藤:2年間の研修を経て入局されたそうですが、血液内科を選んだのはなぜですか?

細:まず、がんに興味があったことが大きいですね。がんにも様々ながんがありますが、血液のがんは内科が主体となって治療方針を立て、全体の経過を見通せる点が魅力的でした。さらに当時、白血病やリンパ腫などで見られる特異的な染色体異常を標的とした新しい治療法が出てきたこともあり、研究と臨床のつながりの強さや将来性を感じたというのも理由の一つです。

入局と同時に大学院に進学したのですが、大学院1年目までは病棟での診療がメインでした。その後徐々に研究中心の生活にシフトしました。

出産を経て、基礎研究の道へ

藤:大学院を修了された頃に、1人目のお子さんを妊娠・出産されたということですね。

細:はい。学位も取り、実験も未熟ながら自分のペースを掴めてきたので、ひとつの節目と感じました。ポスト・ドクター時代に2人の子を出産しました。

1人目のときは産後8週間で職場に復帰しましたが、2人目のときは産後に3か月ほど休暇をいただきました。当時は学内保育園が整備されておらず、地域の保育園の空きを待たなければなりませんでした。

藤:復帰後は、やはり研究をメインにされたのですか?

細:出産後の初めの数年間は研究と外来がメインでしたが、子どもが5歳と3歳の頃、病棟に復帰することになりました。仕事と家庭の両立という意味ではその時期が一番大変でしたね。研究は成果を出さなければならないという点ではシビアですが、自分の裁量で業務を設計できる部分もあります。けれど病棟は、自分で時間をコントロールすることができませんし、帰宅してもいつ呼ばれるかわかりません。さらに保育園からもいつ電話がかかってくるか…という状況でしたから、サポートなしでは難しかったと思います。複数のベビーシッター派遣会社と契約し、毎日交代で来てもらっていたうえ、朝に子どもの具合が悪くなり、それでも自身が出勤しないといけないときなどは、夫に地域の病児保育ルームに連れていってもらったり、緊急時の病児シッターさんが到着するまで家に残ってもらったりしました。様々なサポートを駆使し、何とか生活をプロデュースしてきたという感じです。

藤:その後、本格的に基礎研究にシフトされたと。

細:はい。子どもが6歳と4歳の頃でした。「研究に本腰を入れたい」ことを先輩の研究医の先生に相談していたところ、良いタイミングで基礎医学系の教員のポストが空き、即、異動を決断しました。

藤:それからは、研究・教育を軸に活躍されているんですね。

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