離れた地で、ともに医師として働き続ける
~神﨑 晋・寛子先生ご夫妻~(前編)

神﨑先生ご夫妻

今回は、離れた地に住まいながらも、ともに医師として働き続ける、神﨑晋・寛子先生ご夫妻にお話を伺いました。

研修を終え、仕事を中断

小栗(以下、小):今回は、ご夫妻で活躍されている医師として、岡山で皮膚科の開業医をされ、県医師会理事としても活躍されている神﨑寛子先生と、ご夫君であり鳥取大学小児科の教授である神﨑晋先生にお話を伺います。まず、同じ岡山出身ではあれ、出身大学も入局の年次も離れていらっしゃるお二人の出会いからお聞かせください。

神﨑晋(以下、晋):私の父親と彼女の父親が同級生で医師同士のため、長らく交流があったのです。ただ、私たちは、私が大学院の頃に初めて出会いました。

:それでご主人が大学院を卒業された頃、結婚なさった。

神﨑寛子(以下、寛):はい。私は大学を卒業して、皮膚科の研修を2年終えた頃でした。主人が大学院卒業後すぐ、山口県の国立岩国病院(当時)に出向になったので、私も一緒について行きました。そのタイミングで私は仕事を辞めたんです。

:仕事を続けていかれるのが難しくなったのですか?

:そうですね、国立岩国病院には皮膚科がなく、皮膚科医として働くためには、片道2時間かけて広島市内に通わなければならなかった。これでは仕事ができないと思い、諦めました。もともと私はそこまで熱心でなく、結婚したら辞めてもいいかなと思っていたんです。

:私としては、何とか同じ病院で働けないか、病院長にお願いもしていたのですけれどね。

:それから2年間は、子どももできず、家でじっとしていました。国立岩国病院でパートには誘っていただいたのですが、やりがいが見出せませんでした。働き口がたくさんある内科が羨ましくなり、内科のレジデントになることも考えました。

:ご主人は、皮膚科医を続けることを勧められたんですね。

:はい。大学に相談してみたらどうかとアドバイスしました。それがきっかけで妻は岡山大学の医局に戻ったのです。私は岩国での勤務があと2年ありましたので、そこからは単身赴任という形でした。

大学への復帰・子育て

:大学に復帰されてどのように感じられましたか?

:多くの症例を診ることができ、面白いと感じました。教授の指導が上手で、カンファレンスでも多くのことを勉強させていただきました。自身の診療への姿勢は、この時代に身についたと思います。

:この頃はもう辞めたいとは思われなかったのですね。

:はい。その時々で大変なことはありましたが、辞めたいとは思いませんでしたね。

:妊娠されたときには、産休・育休は取得されましたか?

:産休はいただきましたが、産後8週で復帰しました。当時はまだ育休を取るのが一般的でなく、産休を取られた先輩の多くが、その後の人事異動を機に辞めていきました。

:そうしたなかでも先生がお仕事を続けられたのは、ご家族のサポートが大きかったですか。

:そうですね。私の母親と主人の母親が半分ずつ手伝ってくれました。私も当直があったので、主人と当直をずらして取って、朝は交代で保育園に連れて行くようにしていました。

離れた地で、ともに医師として働き続ける
~神﨑 晋・寛子先生ご夫妻~(後編)

皮膚科医院を開業

:そして、お子さんが小学生になるのを機に開業されたと。

:はい。内科の開業医だった実家が建てかえたのをきっかけに、開業を意識しました。ただ、妹が内科医なので、父の医院は妹が継ぎ、私は同じビルに別に皮膚科を開業したという形です。

:開業にあたってもご苦労があったでしょう。

:ええ。例えば、市中病院で部長を務めた先生が開業される場合、患者さんが大勢ついてきてくれます。一方で私は、医局の中でも下から数えたほうが早い立場でしたから、ついてきてくれる患者さんがほとんどいなかった。だから初めの頃は、家賃と人件費をようやく払える程度でした。

:それから10年ほどかけて、徐々に患者さんからの信頼を得て来られたのですね。

:医師会活動への参加や口コミを通じて、だんだん患者さんが増えてきました。医師会に行くようになり、病院を退職された先生に代診をお願いした際には、その先生を指名して患者さんがたくさんいらっしゃって、一気にカルテが増えましたね。

:一方ご主人は、寛子先生が開業されるのと同時期に鳥取大学の教授になられた。

:はい。小学生の子どもをおいて、自分一人が行くことに後ろめたさもあったのですが、それからはずっと離れて暮らしています。

:お子さんが成人された今でも、晋先生は週に1回は必ず岡山に帰られると伺っています。

:はい。ただ休日も互いに忙しく、別行動が多いです。二人のプライベートといえば、妻の日課のウォーキングに付き合うことぐらいでしょうかね。

キャリア継続のために

:お二人の話を伺って、特に寛子先生の医師としてのキャリアは、結婚・出産を経て大きく変わられたように感じます。医師が結婚・出産を経てもキャリアを継続していくためには、何が必要だと思われますか?

:私の場合は、2年目という早い時期に仕事を中断したことが、結果的に復帰のストレスを軽減したように思います。経験も技術も足りないという自覚があるので、後輩との差を気にせずに済みました。

:なるほど。一方で晋先生は、鳥取大学医学部附属病院のワークライフバランス支援センター長を務めていらっしゃいますが、医局を管理しておられる立場からのご意見も伺えますか?

:そうですね。私自身、ブランクのある医師や時短勤務の医師など、様々な働き方の医師と共に働いていますが、たとえフルタイムで働けなくても、やる気さえあれば十分戦力になると感じます。大事なのは、ブランクの間も医局などとのつながりを維持しておくこと。いずれフルタイムで働く時期がくるかもしれないと考えれば、働きたいと思う医師にも管理者にもプラスになるはずです。

:お二人のライフヒストリーのみならず、管理者の視点からのお話も伺うことができました。本日はありがとうございました。

 

語り手 
神﨑 晋先生(写真左)
鳥取大学 医学部
周産期・小児医学分野 教授

神﨑 寛子先生(写真中央)
神崎皮膚科 院長
岡山県医師会 理事

聞き手 
小栗 貴美子先生(写真右)
日本医師会 女性医師支援センター委員
愛知県医師会男女共同参画委員会 委員長

No.15