終末期医療にまつわる倫理的な問題 case3

「看護師さん、俺しんどいわ…」
転院した患者さんのベッドを整え、
部屋を出ようとするQ看護師に、Pさんがこぼした。
ホスピスに転院したRさんがいなくなり、部屋にはPさん一人だ。
「吐き気はするし、背中も痛いし、飯も美味くない。
こんなんならいっそ殺してほしいよ。」
「そんなこと言わないでください。
奥さんもPさんのこと懸命に支えて下さってるじゃないですか。」
「感謝はしてるけど、だから尚更しんどいんだよ。
俺はもうダメだと思ってるんだ。本当は抗がん剤だってやりたくなかった。
でも、あいつに頑張ろうって言われたら、弱気なことも言えねえ。
あと何か月もしんどい日々が続くと思うと、早く死なせてくれって思うんだよ。」
「――そのことは、S先生にはお話されてるんですか?」
「いや、先生と話す時はあいつも一緒だから。言えねえよ。」
「…一度、お一人で先生とお話されませんか?」

 

「先生、俺は覚悟はできてるんです。正直に話してもらいたい。悪くなってますよね?」
「そうですね…。画像で見る限り、がんは小さくなっていません。骨にも転移している可能性があります。
残念ですが、薬はあまり効いていないです。」
「まあ、わかってます。もう薬もやめたいんだけど、女房になかなか言えなくて。」
「緩和ケアチームのメンバーに、奥さんのことを含めてお願いしておきますよ。」
「というか、薬やめたら、あと何か月くらいかかるんです?」
「え?何か月って?」
「死ぬまでに。」
「――何とも言えませんが、骨転移しているとすれば、平均半年の余命と言われています。」
「…半年。半年も、こんなしんどい生活をしなきゃならないんですか?」
「もちろん、痛みは薬である程度コントロールできますし、抗がん剤をやめれば体は少し楽になりますから…」
「先生、俺にはもうそんなにやることはないんですよ。もう仕事できる体でもねえし、女房に世話かけるだけだ。
貯金を食いつぶして、苦しい思いして、ただ死ぬまで待ってろって、そりゃ拷問ですよ。
もう、いっそひと思いに死ねる薬でももらえないんですか?まあ、無理なお願いですよね…」
「すみません…」
「いや、そういうんじゃないです。でも、何のためにあと半年も生きなきゃいけないのか、それがわからないんだ。
痛くて、治る見込みもなくて、しんどくて、そんなんで生きてるなら、
楽に死なせてもらえたほうがよっぽどましだって――」

 

終末期医療にまつわる倫理的な問題 case4

Tさんは47歳、自動車販売店の店長をしていた。
3か月前の夜、浴室から出てこないのを心配した家族が、倒れているTさんを発見。
救急車で大学病院に搬送された。
診断は、くも膜下出血。一命は取りとめたものの、
発症時にある程度の時間、無呼吸が続いたために、脳の大部分が大きなダメージを受けた。
自発呼吸は回復したが、呼びかけには全く反応しない。
保育士として働く妻Uさんは、Tさんの母であるVさんのサポートを受けながらも、
2人の子どもの世話や家事を続け、心身の疲労が募っている。
ある日UさんはVさんを伴い、Tさんの入院している病院を訪れた。

 

「胃ろうって、W先生どういうことですか?」
「以前からお話ししているように、ご主人は『遷延性植物状態』と言われる状態です。
呼吸を司る脳幹部分は機能を維持していますが、意識が戻る見込みは薄いと言われています。
この病院ではもう診られないので、胃ろうを造設して、療養病院に移っていただく方が――」
「そうなんですね。胃ろうですか…。」
「待ってください。主人は以前から、延命治療はしないで欲しいと言っていたんです。
こんな状態になって、胃ろうを作るなんてどう思うか――」
「延命治療と言っても、原則として人工呼吸器や人工透析など、
生命を維持するために不可欠なことで…」
「意識が戻る見込みがないのに、生命を維持する意味があるんですか?
主人のことはきっぱり諦めて、私が働いて子どもたちをなんとか育て上げた方が――
主人ならそう望むんじゃないかって思うんです。」
「――胃ろうを作ったら、この後どうなるんですか?」
「半分くらいの方は、1年以上生きられます。
それに、ごく稀にではありますが、意識を回復される方もいらっしゃるんです。」
「でも、基本的には意識のないまま、長いこと生き続けるんですよね…」
「身体は健康ですからね…。
誤嚥性の肺炎を起こさないように注意する必要はあるのですが。」
「胃ろう…作らないといけないでしょうか。
父を亡くしたとき、私たち話したんです。
何かあった時は人様に迷惑をかけないように、
無駄な医療は受けないようにしようって――」
「Uさん…」
「主人の思いを踏みにじるような気がして――。
胃ろうを作るというのは、私にはどうしても、
主人の意思に反するようにしか思えないんです。」

 

No.16