誰もが自分の健康を主体的に獲得できる
世の中へ(1)

医師は人々の健康についてどのように考え、どう関わっていくべきなのでしょうか?

公衆衛生への関心と臨床での取り組み

――まずは、先生方のプロフィールを簡単にお聞かせいただけますか?

阪本(以下、阪):私は筑波大学の総合診療科に所属し、茨城県の神栖市という医師不足が深刻な地域で診療しながら、学生の教育にも携わっています。

また、ヘルスリテラシーについての研究も行っています。健康の維持においても病気の治療においても、正しい知識を持っていることは、ヘルスアウトカムに大きく影響を及ぼします。インターネットを中心に様々な医療情報がはびこり、信頼性が低いものも少なくない現代ですが、より多くの方が質の高い情報にアクセスできるような世の中にしていきたい、と思っています。

座光寺(以下、座):私は臨床研修以来、佐久総合病院で働いています。タイの大学院で公衆衛生について学んだ時期もありますが、基本的には臨床医としてキャリアを積んできました。昨年度からは南牧村という人口3000人あまりの山村で、診療所の所長をしています。南牧村はかつて無医村だったところで、「医者をあげる(往診を頼む)のは死亡診断書を書いてもらう時」と言われていたくらい、医療アクセスの限られた所でした。当時の保健師たちは、畑のあぜ道まで行って住民の血圧を測っていたと言います。この地で受け継がれてきた「医療者が生活の場に出向く」という考え方は、私も大切にしていきたいと思っています。

長谷田(以下、長):私も、座光寺先生と同じ佐久総合病院で後期研修を行い、総合診療医としてのトレーニングを受けました。医学部に入る前から予防や公衆衛生に関心があったこともあり、現在は東大の大学院で社会疫学の研究に携わっています。

 

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「不健康であること」は個人だけの責任ではない

――長谷田先生はどのような研究をされているのですか?

:私の所属する研究室では、社会の構造や人間関係が、人の健康にどのように影響を及ぼすのか、また社会階層が健康に与える影響が、地域の特性によってどのように異なるのか、といったことをテーマにしています。

このような問題に関心を持ったのは、佐久での後期研修で、家族背景や経済状況、地域との関わり方が、患者さんの健康状態に大きく影響していると痛感したからです。在宅医療を例にすると、同じ病名で、同じように「家で死にたい」と言っている人でも、家族のサポートを受け、様々なサービスを利用して希望通り家で亡くなっていく人もいれば、家族もおらずお金もなくて、十分なサービスを受けられないまま、病院で亡くなっていく人もいる。同じ病気でも、社会的背景によって経過が全く異なるんですよね。では、経済的、社会的に恵まれない人は、どういうシステムがあればより健康で幸せになれるのか。そんな疑問を持ったのがきっかけでした。

:ヨーロッパでは、個人の健康の原因について考えるときに、その人を取り巻く環境にまで視野を広げ、時にはそれを健康政策に反映させることもありますが、日本ではまだまだそういう考え方が足りないように思います。どうしても、「病気になったのはその人の責任だろう」という考えがある。でも本当は、「いきいきと生活しよう」と思える環境にいるのといないのとだけでも、健康状態は大きく変わってくると思います。

:健康を個人の責任に帰結させてはいけないですよね。ある人がなぜ太っているのか、なぜ運動できないのか、なぜ煙草を吸っているのか、ということには、必ず社会的背景が関わっている。どんな環境が原因でその人がそういう行動をとっているのかという点に、目を向けるべきだと思います。

座光寺 正裕医師(写真左)
南牧村・野辺山へき地診療所 所長(佐久総合病院から出向)
阪本 直人医師(写真中)
筑波大学 総合診療グループ/地域医療教育学(大学院)講師
長谷田 真帆医師(写真右)
東京大学大学院 医学系研究科 社会医学専攻 博士課程

 

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何のための健康なのか?

長:環境を変えることで人の行動を変える方法として、「ゲームのように取り組める活動」や「ポイントによるインセンティブ付与」などの方法もあります。メキシコでは、スクワットすると地下鉄が無料になる、という取り組みもあるんですよ。しかし、こういう取り組みには一時的な効果はあっても、継続的な生活・運動習慣にはつながりにくいという指摘もあります。

:ご褒美がもらえるから運動するというのは、本末転倒な気もしますよね。自分がどう生きたいのか見失っていて、周囲の環境に動かされているように感じます。「自分はこのように生きたい、だからこのように行動するのだ」というように、それぞれが自律的に考えられる方が良いと思います。

:私も本質的には、一人ひとりが自分の意思で健康になりたいと思えるようになってほしいと思います。環境を変えるのは、そのための手段です。環境が変われば見える世界が変わって、「こんな風に生きるのもいいかもしれない」といった、新たなイメージが描けるようになるかもしれない。けれど、何のための健康なのか見失ってしまわないようにというのは、常に気を付けなければいけませんね。

:確かに、「健康とはこういう状態である」という考え方が押しつけられたり、誰もが「健康でなくてはいけない」と言われたりするような世の中になってしまったら息苦しいですね。

患者さんの希望を「聴く」ことの重要性

:もちろん、健康であること自体は大切なことです。一人ひとりが「自分は健康だ」と思って生きられるように、医師として、できるだけのことをしたいですよね。

:そうですね。医師の思う「健康」を押しつけるのではなく、その人が生きたいように生きるための「健康」をサポートしたい。やりたいことがあって、やろうと思えばできるはずなのに、健康状態がそれを許さないというのはもったいないですから。

:患者さんの思う「健康」を引き出すには、どうしたらいいと思いますか?

:私はいつも、「あなたが一番したいことは何ですか?」と聴くようにしています。

後期研修医時代、なかなか治療に前向きに取り組んでくれなかった糖尿病の患者さんがいました。関わり始めて3年くらい経った頃、私が別の病院に移ることになり、ついてきてもらうのか、今の病院で別の先生に診てもらうのか、外来でお話しする機会があったんです。

その時に私は初めて、自分はどんな気持ちで治療をしてきて、患者さんにどうなってほしいと思っているのか、ご本人と腹を割って話し合いました。するとその方も、それまで治療に関して抱えてきた葛藤について話してくださったんです。それで私はようやく、その患者さんが何を考えていて、どう生きたいと思っているのか、伺うことができました。結果的にはその方は異動先の病院についてきてくれて、治療にも主体的に取り組んでくれるようになりました。

お互いが何を考えているのか共有したことで、患者さんと私が同じ地平に立つことができたんですね。共通の目標が持てたので、じゃあそのために一緒に頑張ろう、と思えた。「血糖値を良くするためにこうしましょう」ではなくて、「やりたいことのためにこうしましょう」という発想になってから、コミュニケーションが一気にスムーズになりました。それからはどんな患者さんにも、「あなたが一番したいことは何ですか?」と質問するようにしています。

:医師はともすれば、自分の思う最善の治療を進めようと躍起になってしまいがちです。でもやはり、患者さんの思いを知ろうとする気持ちを忘れてはいけないですよね。誰と住んでいて誰が食事を作っているのか、どんな生活をしているのかといったことはもちろん、「その人は何が一番したいのか」というところまで踏み込むことができれば、どんな治療がより効果的なのか、一緒に考えていけると思います。

:自分が患者側の立場で医療者と接してみると、患者やその家族は「良い患者・家族」を演じてしまうものだと実感します。医療者に嫌われたり、面倒だと思われたりしたくないから、言いたいことも言えないでいる人は少なくないと思います。

診療の場面では、医療者の健康観を患者・市民に当てはめてしまいがちです。けれど、健康のあり方を決めるのは、やはり患者さんや、患者さんの家族です。だからこそ、阪本先生のように「あなたが一番したいことは?」と聴いてくれる先生に出会えた患者さんは、とても幸せだと私は思います。

 

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健康を主体的に獲得できる世の中へ

――最後に一言ずつお願いします。

:まず、健康であることは良いことだと思います。佐久での臨床経験や、タイに留学したときの体験から、健康は人々を幸せにし、平和の礎になるものだということを、私は強く実感しています。

ただ、健康は押しつけられるものではなく、自分で決められるものであってほしいと思います。誰しも人生の終盤には要介護状態で生活することになる可能性がありますし、何らかの障害を持つ人も決して少なくありません。その状態の人たちを一律に「不健康だ」と決めつけ、窮屈な思いをさせる社会になってはいけないと思います。

どんな病気や障害があっても、自分が健康であるかどうかは自分自身で決められる世の中であってほしいし、私はそれを支える伴走者でいたいです。そして、こちらから「健康」という価値を押しつけるのではなく、一人ひとりの思う「健康」を支える存在でいたいと思います。

:私は臨床研修医時代、患者さんの社会背景や経済的な状況には、あまり意識を向けていませんでした。しかしその後の臨床経験を通じて、医療は、貧困を抱えた人や社会とのつながりが乏しい人にとっての、社会との限られた接点になっていることがあるんだ、と気付いたんです。だからこそ医師は、病気を治療することだけでなく、その人が医療を必要とするに至った背景を理解する姿勢を持つべきだと考えます。

社会疫学は、人が持つ社会的なつながりや経済状況が健康に与える影響を、客観的なデータを通して明らかにするものです。その成果は政策に結びつくだけではなく、臨床に対しても価値ある情報を提供するものだと信じています。

:私たちは健康を目標に生きるわけではありません。健康はあくまでも資源です。いくら「健康になろう」と言われても、目標や生きる楽しみがなければ、健康でいようとは思えないのではないでしょうか。孫の晴れ姿が見たいから長生きしようという方もいれば、近所の友達と過ごす時間が楽しいから、明日も元気に過ごしたいと思う方もいるでしょう。医療者に言われたから健康な生活をするのではなく、身近な人と明日も元気で過ごしたいから、少しでも健康でいようと思える。そんな社会を作る一端を、私たちも担っていければいいですね。

 

編集部より

患者さんの生活の場に寄り添う

今回の特集は、当初は「健康寿命の延伸」や「予防」をキーワードに制作する予定でした。しかし、実際に地域での健康づくりや産業医の活動について取材を進めていくと、もっと包括的な「保健」という営みが存在することがわかりました。

保健活動が目指すべきは、市民一人ひとりが自分の思う「健康」を獲得する手助けをすることです。もちろん、大学を卒業したら、皆さんのほとんどはまず「医療」に携わることになるでしょう。それでも、患者さんを目の前にしたとき、病気を治すというだけでなく、その人の生活に寄り添い、健康を積極的にサポートしようという姿勢で関わってもらえたら、と思います。

 

No.19