コミュニケーションの能力と他人の心の痛みがわかる感性を
日本医学会会長 髙久 史麿
医師にとって、もっとも必要なものは医学的な知識・技術であることはいうまでもないが、この2つと並んで必要なものに態度がある。この3つがそろって初めて、医師としての能力を備えているということができるであろう。最後の態度の中で私が重要だと考えているのがコミュニケーションの能力とまわりの人達に対する思いやりの2つである。現在は医師、コメディカルの人達が協力して患者を治療するチーム医療の時代であるが、その中で中心的な役割を担うのは当然のことながら医師である。したがって、医師には患者や家族とだけでなく、医療チームの人達や、場合によっては行政の人達とのコミュニケーションを良好に保つことが強く望まれる。アメリカでは小学生の時からコミュニケーションの技術の訓練を受けていると聞いているが、わが国の初中等教育でコミュニケーションの教育に重点がおかれているという話は残念ながら耳にしたことがない。
平成22年度に改訂された医学教育モデル・コア・カリキュラムの中にコミュニケーションとチーム医療の項があり、患者中心のチーム医療、コミュニケーション、患者と医師の関係、などが記載されているので、各医科大学でも医学生のコミュニケーション能力の向上に力を入れておられるものと期待している。ただ、大学に入ってからではやや遅すぎる感がしないでもない。
私自身のことを述べて恐縮であるが、私は旧制学校時代、大学時代を通じてキリスト教に興味があり、高等学校、大学時代を通じて、YMCAの寮に住み、同じ寮の文科系の友人と夜遅くまで話し合う機会が多かった。そのことが医師になった時にまわりの人達とのコミュニケーションに役立ったのではないかと思っている。当然、その時代には携帯電話もパソコンもなく、お互いの会話が唯一の意思交換の機会であった。
私の脳裏に今でも焼き付いている悲しい光景がある。それは私が群馬大学医学部附属病院に勤めていた頃、即ち今から50年以上も前のある晩、病院のエレベーター近くのソファーで一人声を出さずに泣いている低学年の女子中学生の姿を目にした。おそらく家族の方が入院されており、その直前に亡くなられたのであろうと推察したが、言葉をかけることができなかった。彼女があまりにも悲しそうであったからである。
医師にはほかの職業の人には経験できない色々な出来事がある。家族の死に直面した人達の悲しみ、病気から回復した本人や家族の人達の歓喜の姿、その両方を身近に体験することも医師の特権であろう。
まわりの人達に対する思いやりをいついつまでも持っていただきたいということが私が医学生の皆さんに対するお願いのひとつである。
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