BOOK-書評-
現代に通じる医療の問題を、幕末を舞台にあぶり出す
徳川幕府の後期、都市化が進んだ江戸の町には、家族や地域とのつながりが希薄で、重い病を患っても世話をしてくれる者がいない下層民が増えていた。主人公、高橋淳之祐が活躍する小石川診療所は、8代将軍吉宗の治世にこのような人々のために作られたものである。
さて本作を読む限り、いつの時代も若い医者の悩みは共通しているようだ。診療所で働く主人公の同僚は、成果を出して「幕医」として取り立てられることを目指しており、自分の担当患者が死ぬのを避けるため、末期になると主人公に担当を押し付けたり、無理やり退院させようとする。また、看護師の役割を担う者たちの労働意欲のばらつきに苦慮したり、それまで医学の主流だった東洋医学(漢方)と、新たに台頭してきた西洋医学(蘭方)の間で揺れ動く医療界、といった描写も見られる。 熱い思いを持った、現代で言えばレジデントにあたる若き主人公の視点で、幕末に舞台を借りながら現代の医療問題を考える意欲的な小説。
『春告げ坂~小石川診療記~』安住 洋子/新潮社/1,785円
「病む者の物語」に着目した医療人類学のバイブル
完治の望めない病に対し、治療者は生物医学の対象となりうる「疾患」に対症療法的な処置を施すだけでよいのだろうか?
クラインマンの意見はノーだ。医療人類学のバイブルとして知られる本書は、患者それぞれの症状・個人史・文化的背景を、寄り添うような親しみをもって、だが冷静に記述する。
幼い頃から糖尿病と勇敢に戦い続けながらも、片下肢の切断を境に衰えの予感に呑みこまれそうになる中年主婦の絶望を描いた第2章。癌による死に直面した若き文筆家と主治医との交流を記した第9章。文化大革命の後遺症に悩む中国の女性教師を例にとり、洋の東西で使われる「神経衰弱症」という病名の内実について考察した第6章。患者やその家族、あるいは治療者が肉声で語る「物語」の記述を通じて、慢性の病が社会的な側面を多く持つ「病い」であることを浮き彫りにしていく。
全16章、学術書らしからぬ巧みな文章の力もあいまって、読み始めれば引き込まれること請け合いの一冊である。
『病いの語り~慢性の病いをめぐる臨床人類学~』アーサー・クラインマン(著)/江口 重幸・五木田 紳・上野 豪志(翻訳)/誠信書房/4,410円
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