夫婦二人三脚で
離島の6千人の健康を支える
~白石裕子・吉彦ご夫妻~(前編)

松本先生

今回は、4人のお子さんを育てながら、共に島根県隠岐諸島のへき地医療を担う、白石裕子・吉彦ご夫妻にお話を伺いました。

互いの義務年限をシェアする

鹿島(以下、鹿):白石ご夫妻は、島根県隠岐諸島の島前地区(西ノ島町・海士町・知夫村)で、約6千人の住民の健康をお二人で支えていらっしゃいます。お二人とも自治医科大学ご出身とのことで、出身都道府県の地域医療に従事する義務年限があったかと思いますが、お二人とも島根のご出身なのですか?

白石裕子(以下、裕):いえ、私は島根ですが、夫は徳島です。夫は二つ先輩で、私が大学を卒業する時には、先に徳島に戻って働いていました。

白石吉彦(以下、吉):当時、自治医大で出会ったカップルは、卒業後それぞれ故郷に戻り、9年の義務年限の間は別々に過ごすというケースも多かったようです。ただ僕たちの場合は、先に医師になった僕が、双方の県と大学に掛け合って、二人の義務年限をシェアできないかと交渉しました。まずは一人あたり4年半以上徳島で働き、その後島根で同様に働くことで、互いの義務年限を消化させてほしいと話をつけたのです。

:同級生や下級生の医学生たちは皆、私たちの交渉の行方がどうなるか、そわそわしながら見ていました(笑)。幸い私たちは成功例となり、その甲斐あってか、現在では「結婚協定」という制度が作られ、配偶者の出身地で義務年限を消化することが認められるようになったそうです。

鹿:お二人は、互いの義務年限をシェアするパイオニアであり、モデルケースというわけですね。

 

夫婦二人三脚で
離島の6千人の健康を支える
~白石裕子・吉彦ご夫妻~(後編)

徳島から島根へ

鹿:徳島では、お二人はどんなキャリアを積まれたのですか?

:僕はまず徳島大学で、消化器と循環器を専門とする第二内科に入局し、徳島大学病院と徳島県立中央病院で2年間研修しました。その後、県西部にある県立病院で勤務し、4年目からへき地の診療所に赴任しました。

:私も卒業後、徳島大学の医局に入ることになったのですが、将来的に二人でへき地医療を担うなら、診療科は別々のほうが良いと考えました。外科系や産婦人科とも迷いましたが、全身を診られる小児科を選びました。2年の差があるため、彼と職場が重なることはなく、ずっと彼の後を追いかけている形でした。

鹿:その間は一緒に暮らしていらっしゃったのですか?

:互いの勤務地の中間地点で一緒に住むこともできたのですが、最初のうちはあえて同居せず、互いに仕事に没頭できる環境を作りました。彼女と会えるのは月に2回ぐらいでしたね。

鹿:そうした生活をしばらく続けられた後に、お子さんを授かったんですね。

:はい。私が徳島に出て3年ほど経った頃に同居し始め、28歳で第一子を出産しました。

:子どもが生まれたのが、僕が6年、彼女が4年勤めた頃で、徳島の義務年限は消化していました。そこで今度は島根の義務年限を果たそうと、家族で島根に移住したのです。

鹿:隠岐島前に赴任されたのはどういう経緯だったのですか?

:僕は、「行け」と言われたらどこにでも行くつもりでした。ただ、できれば一緒に住めるところが良いなと思い、県や大学に僕と彼女の得意分野を伝え、どちらも活かせる赴任先を決めてもらいました。

:私も、家族一緒に住めるならどこでも良いと思っていました。ただ、徳島は山だったので、今度は海かな、って(笑)。それでここに決まり、彼が有床診療所の内科医、私が無床診療所の所長として赴任しました。

:今では、僕はこの地域で唯一の有床病院の院長を務め、彼女は病院の医師と島内の診療所長を兼務しています。

臨床技術はどこでも学べる

鹿:ここは本土から船で1時間以上かかる離島ですが、こうした環境で臨床技術を磨くにはどうしたらいいのでしょうか?

:今の時代、最新の情報はどこでも手に入るし、手技の動画などもたくさんあります。そうして得た最低限の知識と技術を、どのように現場で活かしていくかを考えるだけでも、驚くほど大きな学びになるものですよ。たしかにへき地では診られる症例数は限られますが、大切なのは一例ずつ丁寧に診て、きちんとフィードバックを受けることです。一つの症例から濃く学べば、へき地でも十分立派な臨床医になれると僕は思います。

:今、医療機器も安くて良いものがどんどん出ています。例えば、タブレット型のエコーは17万円程度で買えるんですよ。私はエコーを使い、妊娠中に自分のお腹を見たり、子どもたちをモデルにしたりして学んできました。妊娠・子育て中でも、学ぼうと思えば学べる環境になってきていると思います。

鹿:吉彦先生はこれまでに何冊も本を執筆され、講演活動でも全国を飛び回っておられますね。裕子先生も「やぶ医者大賞」*に選ばれるなど、活動を高く評価されています。離島にいながら臨床医として輝かしいキャリアを歩めることは、若い方々の大きな励みになりますね。

医師として、母として

鹿:お話を伺っていて、お二人とも夫として妻として、また一人の医師として、とても自立されていると感じました。お仕事をしながら4人もお子さんを育てられ、ご立派だと思います。特に、仕事も育児も両立したいと思っている女性医師は、裕子先生のような先輩の存在に非常に勇気づけられるでしょうね。

:私の場合、夫が職場の上司でもあり、働き方に理解を得られたことが大きかったです。島の方々にも、子どもたちを地域ぐるみで育てていただき、とても感謝しています。

鹿:裕子先生は、女性医師が活き活きと働くための支援活動もなさっているそうですね。

:はい。子育ての経験を通じて「人を育てる」ことの大切さを実感しました。現在は自治医大の女性医師支援中国ブロック担当を務めています。また、プライマリ・ケア連合学会学術大会では、2015年度から毎年、ワークショップ「究極の女子会~みんなちがってみんないい~」を開催し、女性医師の働き方について話し合う機会も作っています。

鹿:地域の皆さんと支え合い、仕事にも子育てにも、そして後進の育成にも力を注いでいらっしゃって、本当に素晴らしいと思います。お子さんたちは、もう大きくなられていますか?

:一番下が10歳です。仕事をしながらだと、子どもと関わる時間はどうしても短くなり、不全感がないとは言えません。時々、医師としても母としても中途半端なのでは…と思うこともあります。でも最近は、子どもの自立のためには、少し距離があるくらいがちょうどいいかな、と思うようになりました。

鹿:ここでお子さんと一緒に過ごせる時間、ぜひ大事になさってくださいね。今日はありがとうございました。

*1 「やぶ医者大賞」…兵庫県養父市が創設した、へき地医療に貢献している医師・歯科医師を顕彰する賞。

 

語り手(写真右)
白石 裕子先生
隠岐広域連合立隠岐島前病院
西ノ島町国民健康保険浦郷診療所 所長
語り手(写真左)
白石 吉彦先生
隠岐広域連合立隠岐島前病院 院長

聞き手(写真中央)
鹿島 直子先生
鹿児島県医師会 常任理事

No.23