地域医療ルポ
言葉や文化の違いを超え、どんな患者も受け入れる

神奈川県横浜市中区 ザ・ブラフ・メディカル&デンタル・クリニック 明石 恒浩先生

神奈川県横浜市中区
この地は、横浜の開港以来外国人居留地として栄え、“The Bluff(断崖)”と呼ばれてきた。クリニックの歴史は1863年設立の“The Yokohama Public Hospital”に始まる。明石先生が通ったセント・ジョセフ・インターナショナルスクールは、このクリニックの隣接地にあった。
先生

横浜市の旧外国人居留地にあり、150年以上の歴史を持つブラフ・クリニック。かつては航海中に病気になった乗客や乗組員を癒すことも多く、100床のベッドを有していたという。

無床診療所となった現在も、患者さんの約半数は在留外国人だ。待合室には英語の絵本が並び、子どもたちの笑い声が響く。このクリニックが、地域で暮らす外国人家族の拠りどころであることがよくわかる。

幼少時からこの地域のインターナショナル・スクールに通っていた明石先生にとって、様々な国の人と共にいることはごく自然なことだった。当時はインターナショナル・スクールを修了しても日本の高卒資格を得られず、英語で医学が学べるフィリピンへ渡った。8年間の教育を受け、そのまま現地で臨床に従事するつもりだったが、家庭の事情から帰国。医学用語の読み書きに苦戦しつつ、日本の医師免許を取得した。神奈川県の病院で研修を受け、血液腫瘍内科を学ぼうとアメリカにも留学。しかし、当時はまだ日本に腫瘍内科の分野がなく、留学で得た知識を活かせる場はなかった。

「そんな時、クリニックから声がかかりました。育った地で、英語やタガログ語を活かせる仕事に就けたことは、神様の思し召しだったのかもしれません。」

医師としての使命感と、クリスチャンとしての信仰から、明石先生は困っている人を決して拒まない。限られた設備の中で、気管挿管や分娩など、できることは何でも引き受けてきた。ただ、当然ながら文化や宗教の違いによる難しさもあったという。

「例えばイスラム教徒の女性は、夫以外の異性との接触が戒律で制限されているため、必ずご主人が同伴で来院します。診療の間中、怖い顔でじっとこちらを見張っている方もいますね。さらに奥さんが婦人科の病気だった場合は、英語で診療ができる女性の婦人科医を探して紹介しなければならない。他にも様々なケースがありましたが、できる限り要望に沿えるよう、努めてきたつもりです。」

今では外国人の搬送を受け入れる病院とのネットワークもでき、診療に余裕も出てきたそうだ。明石先生はその分、患者さんとの対話に時間を割く。

「異国の地で暮らすとき、母国語で話せる場所があると、それだけでも安心できるものです。今までぶつけたくてもぶつけられなかった怒りや悲しみが、診療の場で込み上げてくる方もいます。私はそんな患者さん一人ひとりの話をゆっくり聴き、ときには祈りを捧げています。こういう時間が、患者さんのカタルシスになればと思っています。」

 

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(写真左)クリニックの受付と待合室。英語のポスターや資料が多く掲示されている。
(写真中央)クリニックに残る、1910年の診療明細書。
(写真右)山手の横浜外国人墓地。
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