医師への軌跡

医師の大先輩である大学教員の先生に、医学生がインタビューします。

自力で道を切り拓くには能力に自信を持ち
寸暇を惜しんで業績を残すこと
淺村 尚生
慶應義塾大学医学部 呼吸器外科 教授

一生取り組むに相応しいテーマ

大川(以下、大):先生は肺がん治療のスペシャリストでいらっしゃいますが、なぜ肺がんを専門に選ばれたのですか?

淺村(以下、淺):医学部4年の時、国立がんセンター中央病院(当時。以下、国がん)で肺がん病理を専門としていた先生が、腫瘍学の講義に来ていたんだけど、日頃から多くの患者さんを診ている先生の講義は、大学の先生とは違う迫力があった。そこで夏休みに見学に行ってみると、非常に活気があって、これは一生取り組むのに相応しいと感じたよ。現在も肺がんは患者さんが多く、新たな抗がん剤も開発されている、インパクトの大きい分野。あの時、肺がんを選んだのは良い選択だったね。

:卒業後は慶應義塾大学の医局に入局されましたが、4年目には医局を出られたんですね。

:そう。僕は肺がんを専門とする外科医になるからには、日本で一番肺がんの手術ができる、最先端の医師になりたいと思っていた。そう考えたとき、関連病院を転々としながらキャリアを積んでいく医局制度の中では、トップになるのは難しいと感じた。だから医局を出て、日本で一番症例の多い国がんに行くことにした。国がんは素晴らしい環境で、何不自由なく修練を積むことができたよ。副院長になり、もう大学に戻ることはないと思っていたら、次の教授にと声がかかり、戻ってきたんだ。

:国がんと大学では、どんなところに違いがありますか?

:面白いのは、やっぱり教育に携われることだね。国がんでは診療と研究だけに集中していたから、学生と接することはなかった。僕は今座学の講義はあまり持っていないけど、臨床実習に回ってきた学生にはできるだけ時間を作って、講義をするようにしているよ。それと、医学部の管弦楽団に入って、学生たちと一緒に演奏できるというのも素晴らしい機会だよね。

 ただ、がんの診療と研究という観点で言えば、国がんが勝るのは否めない事実だった。患者さんは自然と集まってくるし、手術も多くでき、世界に発表もできた。対して大学病院は、国がんほどがんの患者さんが集まるわけではない。しかも、僕が来る前は一日の手術件数が決められていて、患者さんが来たとしても手術件数を増やすことができない状態だったんだ。僕はこれではだめだと思って交渉を始めた。普通の外科医なら4〜5時間かかる手術でも、僕なら1時間半程度でできるし、なおかつ安全で再手術も少ない。それを理解してもらうことで、いまは当時の1・5倍の数の手術をさせてもらっているよ。

自ら道を切り拓く勇気を

:僕は先生と同じように、既に進みたい診療科をはっきり決めているのですが、卒業後、スーパーローテーションなどの制度があるなかで、どのように研鑽を積めばいいのか迷っています。今の制度だと、臨床研修後に診療科を決めて入局し、学位を取り、専門医を取得し、留学…というのが一般的な流れになっていますが、僕は判を押したように皆と同じ道を進むことにもためらいがあります。医局に入り、医局のシステムに従ってキャリアを積むことには、メリットがあるのでしょうか?

:医局に入れば、安定したキャリアは保証されると思うし、そのキャリアのなかで周囲から抜きん出て成功する人もいる。それに、医局の一員として関連病院を回り、地域医療を支えることは、非常に大事なことだね。

 ただ、皆が皆、同じ道を歩まなければいけないわけではないと思うよ。僕のように大学を飛び出して、自力で道を切り拓くこともできる。もちろん、その後のことは誰も保証してくれないから、大口を叩くだけではなく、相応の努力をして業績を残さないとね。それでも、自分の能力への自信と覚悟があるなら、ぜひ挑戦してみてほしい。

淺村 尚生
慶應義塾大学医学部 呼吸器外科 教授
1983年、慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾大学病院の外科で研修後、1986年国立がんセンター中央病院(現・国立がん研究センター中央病院)専修医。呼吸器外科科長、副院長を歴任し、2014年より現職。

大川 隆一朗
慶應義塾大学 5年
トップランナーの先生に、医師のキャリアについてのお考えをじっくり伺うことができ、非常に身の引き締まる思いがしました。卒業後も楽な道に流されず、モチベーションを高く持ち、それを維持していきたいと強く思いました。

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