Interview【臨床研究に携わる医師】(前編)

より良い治療法をより多くの人のもとへ

アメリカで生まれ、日本の医学部へ

――田中先生が医師になろうと思ったのはいつ頃でしたか?

田中(以下、田):医師という職業に興味を持ったのは、高校生の頃ですね。私はロサンゼルスで生まれ育ったのですが、高校の授業で猫の解剖をしたことで、生命の神秘に強く惹かれるようになりました。また、病院でボランティアとして働いた経験も影響していると思います。日本人の患者さんの通訳をしたり、がんの子どもたちのためにクリスマスパーティーを開催したりといった活動をするなかで、徐々に「医師になって患者さんのために働きたい」という思いが芽生えていきました。

もともとはアメリカで医学部に進学するつもりでしたが、次第に「日本の医学部に行きたい」と考えるようになりました。昔から日本に対する憧れは強く、また病院のボランティアで日本人の患者さんと話している時も、アメリカ人と話すよりどこかわかり合える気がして、「日本の人のための医療をしたい」と思うようになったんです。
ただ両親は、私が日本に行くことにも、医師になることにも反対していました。私の親も親戚も、実業家の道に進む人が多く、医師という職業にあまり理解がなかったんです。そこでまず奨学金を得て早稲田大学の国際学部に留学し、同時に帰国子女向けの予備校にも通って、1年後に東海大学医学部に入学しました。

新しい研究領域とともに歩む日々

――いつ頃から研究に興味を持っていましたか?

:学生時代から興味がありました。臨床では、目の前の一人ひとりの患者さんしか治せないけれど、研究で発見したものは、世界中の人の治療に使われるかもしれない。そうなったら、自分が生きてきた証をこの世に残すこともできると思うんです。私は幼い頃から、自分が生まれてきた意味について考えるような人間でしたから、そういうところに非常に魅力を感じました。

――形成外科を選ばれたのはなぜですか?

:5年生の時、アメリカのウェイクフォレスト大学に半年間留学し、臨床実習をしたことが直接のきっかけです。アメリカでは、学生でも、研修医のサポートを受けながら患者さんの治療計画を立てたり、実際に手術に入って縫合したりすることができるんです。そうして臨床現場に出ていくうちに、「患者さんが社会復帰してより良い人生を送れるような支援をしたい」と考えるようになりました。形成外科を志した理由には、もともと解剖が好きだったこと、実習中に機能を再建することの凄みを肌で感じたこと、また再生医療の研究に興味があったことなどがあります。手術と再生医療、臨床と研究の両面から、機能の再建について突き詰めたいと考えたんです。

――卒業後は2年間臨床研修をされ、その後すぐ大学院に入学されていますね。

:はい。最短で学位と専門医を取り、早く大学のポストを得ようと考えたんです。

大学院生活は非常に忙しかったですね。研究と並行して臨床でも症例を集め、大学院修了と同時に専門医資格を取りました。ニューヨーク大学の先生と共同でアメリカの大型の助成金に応募したらそれが採択されたため、ニューヨーク留学もしました。

――田中先生は現在、難治性四肢潰瘍の研究をされていますが、このテーマに辿りついたのはいつ頃ですか?

Dr.Tanaka:大学院1年目の時ですね。その年、血管内皮前駆細胞(EPC)を発見された浅原孝之先生が、東海大学に赴任されたんです。先生は、EPCを利用して下肢虚血性疾患などの治療法を探る臨床研究もされていて、私が、足の難治性潰瘍の専門外来を立ち上げることになりました。当時の私には足病変に関する知識はほとんどありませんでしたが、当時の形成外科の主任教授だった谷野隆三郎先生が「形成外科にかかる患者さんの中で、最も再生医療を必要としているのは、潰瘍で足を切断しなくてはならない人たちだ。でも、今の日本には足病変の専門家はほとんどいない。だから君も、これから勉強していけばいい」とおっしゃって。それがきっかけで、難治性四肢潰瘍の勉強と研究を始めることになりました。

 

Interview【臨床研究に携わる医師】(後編)

夢を持ち、周囲に熱意を伝える

――その後、先生は順天堂大学に移られ、血管組織再生医療研究室の立ち上げに従事されたそうですね。

:はい。大学院を修了して3年目に、私の研究が「最先端次世代研究支援プログラム」に採択され、大規模な研究資金が得られたのです。そこで、東海大学時代の仲間を中心に人を集め、ラボを立ち上げることにしました。

初めは周囲の研究室から要らなくなった機械を譲り受けるなど、本当に一からのスタートでした。業績を重ねることで周囲から少しずつ認められ、今では研究室には最大18名ほどのスタッフが在籍するまでになりました。

――一から研究室を立ち上げて軌道に乗せるまでには、多くの苦労があったのではないでしょうか。

:そうですね。特に、研究の助成が切れた後の資金繰りには苦労しました。この時は何度も何度も上層部に掛け合い、自分の熱意や研究の意義、今後の計画などを説明して回りました。また、万一研究費が完全に切れてしまった場合のことなど、様々な状況を想定して対策を練りました。

私は、日本で育った人と比べると自己主張が強い方で、時には「出る杭は打たれる」と感じることもあります。でも、自分の思いを周囲に伝えて努力していれば、応援してくれる人は必ず現れます。私はこれまで、多くの先生方や仲間、そして患者さんに支えてもらいました。自分が手がけた臨床研究で有害事象が発生し、患者さんに大変な思いをさせてしまったこともあります。でもその方は、「研究に貢献したいと思って参加したのだから、少しでも役に立てているならそれで本望だ」と言ってくださったんです。私が医師として世の中に貢献することが、支えてくださった方々への恩返しだと思って頑張っています。

私の今の夢は、開発してきた技術を、実際に患者さんのもとに届けること。技術の製品化には、今まで行ってきたような研究とはまた違ったアプローチが必要で、大変なことも多いですが、近いうちに薬事承認を取得し、実用化にこぎつけたいです。

私は医学生の皆さんにも、ぜひ夢を持ってほしいと思います。この前は、若い先生が「脊髄損傷の患者さんを治したいから先生の研究を教えてください」と言ってきてくれて、非常に嬉しく思いました。なぜ医師になろうと思ったのか、今後何をしたいのかをしっかり考え、目の前のチャンスを掴み取ってほしいですね。

 

田中 里佳先生
Rica Tanaka, M.D., Ph.D.

順天堂大学医学部形成外科学講座先任准教授。
2016年、「難治性四肢潰瘍患者を対象とした新世代型血管・組織再生治療の開発」で日本医師会医学研究奨励賞を受賞。

 

 

 

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