Interview【社会医学研究に携わる医師】(前編)

社会医学の考え方は臨床の可能性も拡げる

個人と集団をつなぐ

――社会医学分野の研究がどのようなものなのか、イメージが湧かない読者も多いと思います。まずは先生が今手がけている研究について教えていただけますか?

:いくつかの研究が並行して動いていますが、私が大学で行っているのは、環境中の化学物質、例えばプラスチック系の樹脂に幼少期に曝露することが、その後の子どもの成長過程にどんな影響を与えるかを探る研究です。社会医学分野とひとことで言っても方法論は多様で、私が所属する産業衛生学(旧衛生学)の教室では、大規模な疫学研究から比較的小規模な研究まで、様々な研究を行っています。私が取り組んでいる小規模な研究は、近くの産婦人科や小児科のクリニックと連携して、研究に協力してくださる方がいた場合、自分で血液のサンプルの採取に行き、頂いた検体を大学に持ち帰って分析します。

――社会医学というと、ビッグデータの解析などを行うようなイメージがありました。

:そういった大規模な研究にも参加していますが、衛生学の面白さは、実験と疫学を繋げていくところにあると思います。私の場合は小児のアレルギーをテーマにしているので、細胞レベルで何が起きているのか、血液中にどんな抗体ができているのかという、生体内のメカニズムを解き明かす部分も重要なのです。

細胞レベルで起きていること、個人のレベルで起きていることを小規模な研究で丁寧に調べていき、それが集団レベルではどうなるのかという疑問を解き明かしていくときには、大規模な研究が必要になります。どちらかがより価値があるということはなく、小規模研究にも大規模研究にも、それぞれの役割があるんです。

推理小説好きが高じた

――先生はなぜ社会医学分野に興味を持たれたのですか?

:大学の授業で、疫学の父と呼ばれているジョン・スノーの話を聞いたんです。スノーはコレラの原因がまだ解明されていない頃に、コレラを発症した人の家の場所を地図にプロットし、一人ひとりの家を訪ねました。そして、患者が多いエリアには井戸のポンプがあることに気づき、原因を特定したんです。その話を聴いて、面白い!と。小さい頃から暇さえあれば推理小説を読んでいるような子どもだったので、「探偵みたい」とときめいたんです。

――それで、社会医学の分野に進まれたのですね。

:はい。学生時代に基礎分野の研究室配属があったのですが、そこでも公衆衛生の教室に行きました。フィールドワークも多く、実際に現場に行ってデータを取り、そこから推理と実験を組み合わせて事実を解き明かしていく過程が楽しかったですね。

――そのまま公衆衛生の研究室に入られたんですか。

Dr.Tashiro:いえ、臨床も経験しました。当時臨床研修は必須ではなかったのですが、患者さんと接する中で得られる発想もありますし、医療現場の雰囲気を知っておきたいという思いがありました。教授にも臨床を経験した方が良いと言われ、眼科的なスキルを持つ疫学のドクターは少ないという話を聞いたこともあり、「それなら目を診られる疫学者になろう」と思い、眼科に入局しました。

眼科と言っても大学は当直が多く、体調を崩してしまったこともあり、大学病院での臨床は1年、その後市中の病院で数年臨床経験を積みました。ですから専門医の先生方と同じようなレベルの診療はできませんが、疫学調査で目の症状があるかどうかをチェックする際など、眼科での経験には助けられています。

 

Interview【社会医学研究に携わる医師】(後編)

計画性と実行力が求められる

――社会医学分野の研究スキルは、どのようにして身につけるのでしょうか?

:教授や教室員の先生方の背中を見ながら、倫理委員会を通し、調査への協力を依頼しては断られ、受け入れていただけたら調査を開始して…といった一通りのプロセスをまずは把握します。細胞レベルの研究の多くは実験計画にもよりますが数日~数週間単位で結果が出て、その後さらに結果を積んでいきますが、社会医学は数年かけても明らかな結果が出ないこともあります。気の長い学問ですから、最初は先輩たちの行っているテーマをお手伝いしながら、研究への関わり方を学ぶことになります。そこから自分の将来を見据えて試行錯誤し、大学院に入ってから10年くらい経つと、自分に合った研究スタイルが固まってくるといったイメージでしょうか。

――長いスパンでの計画性が求められるのですね。

:そうですね。私は娘と2人でアメリカに留学したことがあるのですが、当時は、1年後、3年後、10年後の自分をイメージして研究の計画を立てていました。アレルギーのある娘のケアをしながらアメリカで生活しつつ、結果も残さなければならない。留学先の先生とも綿密に相談し、留学前から検体を日本で集め、留学先に送って実験したりもしました。緻密な計画を立てて実行する力は必要だと思います。

好奇心に従い、自由に動く

――社会医学に携わってきて、この分野の面白さは何だと思われますか?

:社会医学は、チームで動かなければならない分野です。私たちのような社会医学研究者だけでなく、臨床で働く医師や他職種、文系の研究者と協働することもあります。誰かが興味を持って立案した計画を、チームで叩き上げて実行していく。みんなで議論しながら一つの研究を作り上げていくところに、私は面白さを感じますね。経験や役職の差があっても、基本的には自由に意見交換しますから。様々な現象に出会い、何かを解き明かすという過程のなかで、自分の知的好奇心を満たしながら社会に貢献できることを幸せに思います。

――学生へのメッセージをお願いします。

:社会医学の分野では、臨床家のちょっとした疑問からスタートする研究も多いんです。現場の勘のようなものがどこかで事実に繋がっているかもしれないので、臨床の先生方からもっと話を聞き、仮説を検証していきたいと思っています。

個別に起こる事象を、集団を見ながら解き明かしていく、例えば「同じ条件下で、がんになる人とならない人がいるのはなぜか」といった視点を持ち、フィールドに出て話を聴く。こうしたアプローチは、臨床の可能性も拡げると思います。最近は、臨床の専門医を目指すキャリアの途中で、社会医学を学ぶ医師も増えてきました。ぜひ多くの方に社会医学に触れていただき、何かの機会にコラボレーションできたら嬉しく思います。

 

辻 真弓先生
Mayumi Tsuji, M.D., Ph.D.

産業医科大学医学部産業衛生学准教授。
2017年、「化学物質曝露が小児のアレルギー疾患に与える影響について~社会医学と臨床医学の連携による分子疫学研究~」で日本医師会医学研究奨励賞を受賞。

 

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