産業医として、子育て中の医師として、
日本社会の働き方改革に貢献したい
~半下石 美佐子先生~(前編)

半下石先生

今回は、4人のお子さんを育てつつ、三菱電機株式会社本社健康増進センターに産業医として勤務する半下石美佐子先生にお話を伺いました。

レジデント時代に出産

細谷(以下、細):半下石先生は国立病院や大学病院の循環器内科でキャリアを積まれた後、2000年から三菱電機株式会社本社診療所の専属産業医になられ、現在は同社の人事部健康増進センター長としてご活躍されています。また私生活では、中学生から大学院生までの4人のお子さんを育てられています。

先生は、国立病院のレジデント時代に一人目のお子さんを出産され、産後8週ですぐに復帰されました。いつも明るくパワフルに働かれている先生のお姿を、私自身研修医として間近で拝見しておりましたが、この時期は乳児を育てながらの勤務で、大変なことも多かったのではと想像します。

半下石(以下、半):はい。当時レジデントは朝早くから夜遅くまで働くのが当たり前でした。夫も医師で、深夜まで仕事をしていたので、朝子どもを保育園に預け、お迎えはベビーシッターさんにお願いして、夜9時頃まで見てもらうという二重保育の体制をとっていました。

また、産後の体の変化で苦労することもありました。特に大変だったのは母乳の問題です。当時は院内に搾乳する場所もなく、また搾乳の時間がとれない日もあったため、急性乳腺炎で高熱を出してしまったこともありました。

それでも続けられたのは、周囲のサポートがあったからです。復職する際、医長の先生が「お互いのためになるから」と、1年目のレジデントと3年目の私とでチームを組んで入院患者さんを診るよう指示してくださったのです。急に早退しなくてはならなくなったときでも、後の処置をお願いできるようになり、とてもありがたかったです。

:上司の先生や周囲の先生方のご理解があったのですね。現在は育児などのライフイベントと仕事の両立がしやすいよう、様々な制度を整える病院も増えてきましたが、制度だけでなく上司や周囲の理解も非常に大切だと思います。

産業医への転身と育児との両立

:先生はそれからも、大学病院で当直もしながら、臨床と研究に邁進されました。その後たまたまお会いした際に、二人目のお子さんを妊娠されたこと、産業医へ転身する決断をなさったことを同時にお聞きして、驚いたことを覚えています。転身を決断された経緯をお教えいただけますか?

:はい。私はそれまで、医局から派遣され、週に1回非常勤で三菱電機株式会社本社診療所に勤務していました。ある時所長から、副所長兼常勤産業医として働かないか、と声をかけていただいたのです。ちょうど長女が小学校に入学する年でしたので、生活を変えて子どもとの時間を増やすのもいいなと思い、お引き受けしました。

:産業医のお仕事について、詳しくお聞かせいただけますか?

:私は専属産業医および内科医師として就職しました。産業医は労働安全衛生法に基づき、労働者の健康管理・作業管理・作業環境管理を行い、それによって労働災害を防止することを大きな目的としています。主な仕事は、社員の生活習慣病の予防・治療や、定期健診後のフォローなどです。また近年は法律の改正に伴い、過重労働対策やストレスチェック、メンタルヘルス対策など、業務の幅が広がっています。メンタルヘルスに関する社員教育や管理職向け研修に関わることもあります。

産業医の仕事は、社員の皆さんが将来的にも心身ともに健康に働けるよう指導・教育し、最大のパフォーマンスを出せるように支援する、黒子のような役割と言えますね。社員がいきいきと働く姿を後ろから眺めて喜べる人には、向いている仕事だと思います。

:産業医になられ、勤務環境が大きく変化したことで、ご自身の生活の質も変化したのではないかと思います。

:そうですね。子どもの急な発熱などで早退しても業務に穴が空かないよう、前センター長や他のスタッフの方々には色々と取り計らっていただきました。

ただ、二人目~四人目の子を次々に出産したため、自宅では子育てに追われる日々を過ごしていました。そのため家事・育児を含めた総労働時間は病院勤務医の頃とあまり変わりませんでした。最近は子どもたちも成長したので、夫にも週末の家事を少しずつ手伝ってもらいながら、私自身が医師として成長するための勉強時間を設けることができています。

 

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