医師への軌跡

医師の大先輩である大学教員の先生に、医学生がインタビューします。

まずは行動してみること
躊躇する時間は もったいない
キッティポン・スィーワッタナクン
東海大学医学部 脳神経外科 講師

17歳で日本に

中島(以下、中):先生はタイのご出身ですが、日本の医学部を卒業し、その後も日本で勤務されています。いつ頃来日されたのですか?

スィーワッタナクン(以下、ス):17歳の時です。最初の1年間は日本語学校に通い、その後東京医科歯科大学の医学部に入学しました。

金居(以下、金):外国で医学を学ぶという決断を、たった17歳でされたのはすごいですね。

:両親の仕事で海外への引越しを経験していたのも大きかったと思います。ただ、化学にも興味があったので本当に医学部でいいのかは悩みました。でも、「日本に行くことにデメリットはないのだから、とりあえず行ってみよう」と決めました。

:日本語の勉強は大変ではありませんでしたか?

:言語習得の近道は、その言語を使って好きなものを学ぶことですよ。私はコンピュータが好きだったので、秋葉原でパソコンを買い、説明書を読んで勉強しました。

:ちょうど「留学するには英語力を上げなければ」と考えていたところでした。先生の行動力や勉強法を見習いたいです。

:新しく言語を習得すると、情報源が増えて視野が広がりますよ。学生のうちに、ぜひ海外に行ってみてくださいね。

転機となった出会い

:脳神経外科を選ばれたきっかけを教えてください。

:学生時代の実習で、脳神経外科の手術後すぐに医師と患者さんが話をしているのを見て、その回復の早さに感動したことです。それまでは、「何でも診られるお医者さん」に憧れていました。しかしその体験を経て、専門性の高い、ほかの誰でもなく自分の技術を必要としてもらえる医師になるのもいいなと思うようになりました。

:10年ほど脳神経外科医として経験を積まれた頃に、フランスに留学されたそうですね。

:師匠と呼ぶべき先生に出会えたことが転機でした。ある研究会でその先生の解剖のコースを受講した際、それなりに経験を積んでいるつもりだったのに、わからないことだらけで…。これではいけないと直感して、先生に「弟子にしてください」と直談判し、留学しました。

:直接頼み込むなんて、相当な勇気がいりそうです。

:立場が上になるほど下の世代との交流の機会は少なくなりますから、若手に慕われて嫌な思いをするベテランはいませんよ。忙しそうなら連絡先を交換するだけでもいいので、気になった先生には声をかけてみることをお勧めします。

教育者として

:現在は大学で教える側に立たれていますが、心がけていることなどはありますか?

:教育とは、知識を伝えるだけでなく、影響を与えることだと思っています。自分の姿を見て、部分的にでも「ちょっと真似してみよう」と思ってもらえたら本望ですね。

:日本の学生にとって、現状の課題は何だと感じますか?

:僕が学生の頃から、授業中の発言や質問が少ないのは変わりません。質問は理解や記憶定着にもつながるので、どんどん出してほしいです。自分の意見を臆せず主張することは、国際的な場でも重要になります。

:先生とお話していると、迷ったら飛び込むような前向きさに勇気づけられます。

:悩んで立ち止まっている時間が一番無駄だと思うんです。たとえ失敗しても、経験は残りますからね。臨床の現場でも「どの選択肢にも不安はあるが、一つを選ばないといけない」という状況はあり、そういう場合はデメリットが少ない方を選びますよね。人生の決断も同じです。躊躇していても何も変わらないので、まずは行動することが大事だと思います。

キッティポン・スィーワッタナクン
東海大学医学部 脳神経外科 講師
1995年、東京医科歯科大学医学部卒業。国保旭中央病院等での勤務を経て、フランスのビセートル病院に留学。2012年より現職。日本脳神経外科学会専門医、日本脳神経血管内治療学会専門医・指導医。

中島 伸
東海大学 3年
今回、授業とは違うかたちで先生とお話してみて、新鮮な体験でした。先生が話してくださったエピソードから伝わる、前向きな姿勢やモチベーションの高さがすごく刺激的で、僕も頑張ろうという力を頂きました。

金居 翔
東海大学 3年
取材では、記事以外にも色々なことを教えていただきました。気持ちの切り替え方について、「環境を変えて心を切り替える。患者さんと話して頭の中の環境を変えるだけでもいい」と教えていただいたことが印象に残っています。