つらい時も、医師としての仕事が心の支えになった
~耳鼻咽喉科医 椋下 直子先生~(前編)

今回は、高知県で開業医として働く椋下先生に、同じく医師であったご主人を亡くされた時のお話と、医師として働き続けることへの思いを伺いました。

あらゆる人の手を借りて
出産・育児と仕事を両立

計田けた(以下、計)(写真左):先生は、むくした耳鼻咽喉科の院長として地域の方々の健康を支えていらっしゃいます。まず、医師を志したきっかけからお聞きしてもよろしいでしょうか。

椋下(以下、椋)(写真右):専業主婦だった母がよく「手に職をつけなさい」と言っていたことでしょうか。私は理系でしたし、医療にも興味があったので、医師という職業に魅力を感じました。

高知大学の医学部に入り、そこで同級生だった夫と出会いました。私は耳鼻咽喉科に、彼は整形外科に入局した後、結婚しました。医師になって2年目に長男を出産し、その5年後には次男を出産しました。

私も夫も医師として働いていましたから、子育てはてんてこ舞いでした。どちらの両親も県外に住んでいたので、サポートを得ることもなかなかできませんでした。特に次男の出産後は大変でしたね。夫が単身赴任中だったのに加え、私が専門医資格の試験の時期だったため、床に座って子どもを膝の上に乗せ、片手にミルクを持ちながら勉強していました。まさに仕事と育児に追われるような生活でした。

ただ、その頃高知には個人が自宅で子どもを預かってくれる「お守さん」という文化があったので、幸いその方々を頼ることができました。また、子どもたちが保育園や幼稚園に通うようになってからは、お迎えをベビーシッターにお願いすることもありました。ありとあらゆる人の手を借りて、何とかやりくりしていたという感じです。

:出産・育児と仕事の両立は本当に大変でしたね。そのなかでも懸命にお仕事に励んでいらしたのですね。

:はい。とはいえ、子どもが生まれてからは夜勤や長時間の手術を担当するのは難しくなりました。それでも、ずっと働き続けたいという気持ちがあったので、目の前の仕事に無我夢中で取り組んでいました。

開業医として
地域に密着した診療を行う

:開業を志したのはいつ頃でしたか。

:実はもともと開業は考えていませんでした。ただ、子育てをしながら勤務医を続けることに限界を感じる時もあり、いつか開業するという選択肢もあるかもしれないと思うようになっていました。そんな時、夫の先輩が「メディカルビルを建てることにしたから、そこで開業しないか」とオファーしてくださったんです。それで引き受けることにしました。

:そうだったのですね。開業すると、勤務医とは働き方が大きく変わると思うのですが、何か感じることはありましたか。

:患者さんとの距離が大学病院や市中病院よりも近いので、親密に関われることにやりがいを感じました。また、女性医師ということもあってか、「話を聞いてもらえそう」と思ってもらえるのも良かったですね。子どもを連れてきたお母さんが、悩みを話してくれることもあるため、子育ての経験を活かしたアドバイスも行っています。また、耳鼻咽喉科は赤ちゃんからお年寄りまで幅広い年齢層の方がいらっしゃる診療科です。家族で一緒に来院する方も多いため、自然と患者さんの家族構成がわかり、地域に密着した診療ができていると感じます。

:まさに地域のかかりつけ医といった存在なんですね。

 

つらい時も、医師としての仕事が心の支えになった
~耳鼻咽喉科医 椋下 直子先生~(後編)

夫の闘病中や他界後も
患者さんに支えられた

そんななか、2014年に夫が末期の膵臓がんであることがわかりました。夫はスポーツマンで、その少し前にフルマラソンの自己新記録を更新するほど元気だったのですが、身体のだるさを訴え、余命数か月と宣告されたのです。青天の霹靂でした。それから闘病生活が始まり、抗がん剤により余命は延びたものの、2016年に夫は亡くなりました。

:なかなか他人に推し量ることはできないものでしょうが、本当におつらい時間だったと思います。先生を支えたものは何でしたか?

:夫の闘病中は、もちろん大変なこともたくさんありました。でも仕事をしていると、患者さんのことを考えるのに一生懸命になるため、つらいことも一時的に忘れられました。患者さんが待っていると思うと仕事を休むこともできませんから、仕事に没頭することでかえって救われていた部分もあったと思います。どんな時も、ここで仕事をしていると自分を見失わずにいられました。夫の勤務していた病院も近くにあって、当院と両方に通っている患者さんもいらっしゃったので、そういう方々が心配して声をかけてくださることもありました。

夫が亡くなってからもすぐに診療を再開しましたが、新聞の死亡広告などで夫の死を知った患者さんたちが、次々と温かい言葉をかけてくださいました。この頃は、患者さんを診ている私の方が、逆に患者さんに支えられていたように思います。あれから2年が経ちますが、今でも声をかけてくださる方がいらっしゃいます。

皆さんへの恩返しのつもりで
これからも働き続けたい

ご主人がお亡くなりになってからも変わらず働き続けていらっしゃいますが、先生にとって仕事はどんな存在ですか?

:医師として働くことで、社会とつながりを保てたことは良かったと思っています。専業主婦という生き方も素晴らしいと思いますが、もし「誰かの妻・母」という形でしか社会とのつながりがなかったら、その「誰か」がいなくなったときに自分が何者なのかわからなくなっていたのではないかと想像します。そう考えると、私は医師という仕事を持った個人として自立することができていて良かったと感じています。

また夫が亡くなったことで、もちろん生活に変化はありましたが、私自身が働き続けることにはそれほど大きな影響がありませんでした。そのため、経済的には問題なく生活できており、その点は幸いだったと感じています。

大変なこともたくさんありましたが、今となってはこの仕事を続けてきて本当に良かったと思っています。これからも、患者さんを含め、今まで支えてくださった方々へ恩返しをするつもりで、できる限り働き続けたいと思っています。

:大変な状況のなかにあっても、自分の芯を持ち、医師としての使命を果たしてきた先生の生き方は、本当に素晴らしいと感じました。本日はどうもありがとうございました。

 

語り手
椋下 直子先生
むくした耳鼻咽喉科 院長

聞き手
計田 香子先生
日本医師会理事、高知県医師会常任理事

No.28