先輩医師たちの選択
家庭医になるため、自分で学ぶ道を切り開いてきた
西村 真紀先生
地域医療をやるために、高校教員から医師に
20代の頃、地元の高知で祖父が亡くなりました。それまで病気知らずだった祖父が、家に来てくれる医師がいないために、病院で息を引き取らざるを得なかった。医師の偏在を身にしみて感じ、一念発起して地域医療をやろうと29歳で医学部に編入学しました。高校教員からの転身でした。
地域医療をやりたい、開業医をやりたいと漠然と思ってはいたものの、具体的なイメージはありませんでした。そこで実際の現場を見てみたいと思い、大学に入った当初から、地域医療に力を入れている王子生協病院に飛び込んで、往診を中心とした実習をしました。さらに5年生の時にイギリスに留学し、家庭医(General Practitioner, GP)の実習も経験しました。
実際に往診やGPの現場を見て驚いたのは、医療機器も何もないところでも問診と身体診察だけで診療を進めていくことでした。また、健康や普段の生活で困っていることについての「よろず相談」が行われていました。「医師は病気を診断して治療する」というイメージがガラリと変わり、生活に密着した家庭医というものの魅力にすっかり取り憑かれてしまいました。
家庭医の研修プログラムの立ち上げに携わる
帰国後、実習先でお世話になっていた先生に「家庭医を目指したい」と話しました。元々その先生にも家庭医を育てたいという思いがあったので、「私が第一号になるから、ここで研修させて下さい」と話を持ちかけたんです。そうして、家庭医の研修プログラムを私たちが作っていくことになりました。
1997年当時は、まだ臨床研修が必修化されておらず、現在のように初期研修でいろいろな科をローテーションするような仕組みもありませんでした。同級生のみんなが「何科に就職する?」なんて話をしている中、私は一人「診療所で働く医師になりたい」と宣言していました。同級生には理解してもらえませんでしたけど、同じようなことを考えていた方々は全国を見渡せば他にもいて、私もそういう存在の一人だったんです。
通常、研修医は入院している患者さんを診ることで、病気の経過や診断、治療を学んでいきます。けれど家庭医に必要な能力はむしろ外来で患者さんを診て、入院すべきかどうかを見極める力です。そして入院後のことは、その分野の専門の医師たちに任せます。実際のところ、診療所を訪れる人のほとんどは入院する必要のない患者さんです。そういう患者さんたちが自分で病気を治す力をサポートするのが家庭医の役割。そのため、研修プログラムでは外来を重視し、判断力をつけるための経験を積んできました。
ある程度力がついてくると、どこまでも診たいという欲が出てくるものです。自分であれもやりたいこれもやりたい、と。けれど5~10年目ぐらいになるとそれが薄れて、だんだん患者さんのためには何がいいかを考えられるようになってきます。家庭医は他の専門医とは違って、「私はこれができますよ」という固定の分野を持っていません。だから、患者さんのニーズに合わせて形を変えていくことが理想です。私の場合は、女性の患者さんに「女の先生だから、質問してもいいですか?」と聞かれたことがきっかけで、今はウィメンズヘルスに力を入れています。
ベストは無理でも、できる限りベターに
私は医学部に入った時点で結婚していましたし、働き始めて3年目に妊娠・出産しました。元々無医村や離島での地域医療に興味があったのですが、家庭があり、大学や勤務先を選ぶときも首都圏を離れることは難しかったです。例えば子どもが小学3年生のときに、地元の高知から「こちらで働かないか」という話もありました。現地で診療所を任せてもらえるという話も出ていて、家族で高知に移り住んで田舎で地域医療に携わるか、首都圏に残って都市型の家庭医として働くかという二択を迫られたんです。高知にはやっぱり思い入れがあったので心が揺らぎましたが、家族で移り住むには夫の仕事や娘の学校のことも考えなければなりません。私はそこで、「娘がどうしたいか」に判断基準を置きました。娘はいろいろ考えた末に「生まれ育った川崎が故郷だから、残りたい」と。その話を聞いて私の中でもストンと腑に落ちました。それならこのまま都市型の家庭医として働いていこう、と決めたんです。
特に女性は、出産や育児がありますから、何に基準を置いて、どうやって決めていくのかがとても大事なんです。私も今後、娘が独り立ちしたら、また高知に戻るかもしれませんしね。女性医師の友人の中にも、仕事でやりたいことがあったけど家庭のために諦めたという人もいます。だからこそ私はいつも、「ベストは無理でもできる限りベターになるようにがんばろう」と言うようにしています。
川崎医療生活協同組合 あさお診療所所長
1997年東海大学医学部卒業。医学部5年生の時イギリスに留学し、家庭医の実習を受ける。帰国後、東京ほくと医療生活協同組合王子生協病院にて初期研修。都内での勤務を経て、2006年より現職。
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