BOOK-書評-

善良な医師が、なぜ生体解剖実験に関わったのか

小説は戦後すぐ、まだ郊外だった世田谷で始まる。銭湯で出会った男が、戦地で人を殺め女を犯してきた話をするような、まだ皆が心のうちに戦争が遺した得体の知れないものを秘めていた時代だ。その街に越してきた「私」が、結核治療のために通った近くの医院で出会った勝呂医師もまた、戦時中の暗い事件の翳を背負っていた。

事件の舞台は戦争末期のとある大学病院。患者たちには、充分な物資も正確な情報も与えられていなかった。さらに助かる見込みのない「おばはん」と呼ばれる患者に人体実験的な手術が施される。それに納得できない勝呂医師と、彼をセンチメンタルだと嘲笑する同僚。

そんな日常が繰り広げられていた第一外科で、教授が重要な手術に失敗した。学部長の座を争う教授は、失点回復のため米軍捕虜を用いた生体解剖実験へと突き進む。そして善良な医師であったはずの勝呂やその同僚たちも、それぞれが迷いや呵責を感じながら、残虐行為に参加してしまうのだった――。

『海と毒薬』遠藤 周作/新潮文庫/380円

脳とコンピュータはどこが違う?

「我思う、ゆえに我あり」これはデカルトの有名な言葉である。古来より精神と身体の関係は思想家たちの議論の的になってきた。取り出してみればわずか1キロ強のぶよぶよした物体である脳の中でいったい何が起きているのか? 

本書は、大脳生理学者である著者がニューヨークで行った講義の記録である。「自由意志とは何か?」「記憶が曖昧なのは何故か?」「アルツハイマー病の原因は何か?」多岐に及ぶ話題を、高校生たちとの対話や質問を交えつつ解説していく著者の語り口は、とても明快で若々しい魅力に満ちている。

全四章を通じて見えてくる脳の特徴は、身体を操作する司令部というよりもむしろ、身体と相互に情報をやりとりしながら自己を絶えず変革していく能力だった――巻末に読者向けの参考文献が載っていないのは少々残念だが、たとえば『遺伝子が明かす脳と心のからくり』(石浦章一著 羊土社)などを併せて読んでみるのも面白いかもしれない。

『進化しすぎた脳〜中高生と語る[大脳生理学]の最前線〜』池谷 裕二/講談社・ブルーバックス/1,050円

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