withコロナ時代の医学教育
~これからの医学生の学びはどう変わるか~

Interview 錦織 宏先生
名古屋大学大学院医学系研究科総合医学教育センター 教授
(前編)

新型コロナウイルス感染症の流行は、医学部の教育にも大きく影響を及ぼしています。医学生の皆さんの中にも、従来どおりの授業や実習の実施が難しくなっているなか、医師になるための十分な教育が受けられるのかと不安に思っている人は多いのではないでしょうか。

今回は、名古屋大学と京都大学で医学教育の専門家として活躍されている錦織宏先生へのインタビューをお届けします。コロナ禍においても医学生の学びの機会を保障するための名古屋大学の取り組みや、医学生と教員が医学教育を作っていく担い手として協働するためのアプローチなどについてお話しいただきました。

錦織先生
錦織 宏先生


名古屋大学大学院
医学系研究科総合医学教育センター 教授
京都大学大学院
医学研究科医学教育・国際化推進センター 特命教授


 

コロナ禍における名古屋大学での取り組み

――新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、医学教育の現場は様々な困難に直面していることと思います。錦織先生は名古屋大学の総合医学教育センターの教授として、医学生の声を取り入れながら、学びの機会を確保するために様々な取り組みをされているそうですね。

錦織(以下、錦):はい。本学の取り組みの大きな特徴は、教員・事務職員と学生が共に、教育活動の改善活動を行っていった点です。

本学では3月中旬、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、学部教育委員会の下に「COVID-19対策ワーキンググループ(以下、WG)」を設置し対応にあたっていました。しかし3月下旬に入ると、対面型の授業や実習が中止になるなか、教員や事務職員だけでは学生の状況を十分に把握し対応できていなかったということが明らかになりました。もっと学生とコミュニケーションを取るべきだったと反省し、学生に謝罪したうえで、WGの一員として活動してくれる学生を募集したところ、各学年から合計26名の学生が集まりました。

――学生たちは具体的にどのような役割を担ったのですか?

:対面で行う授業や実習の代替措置を考える際に、学生側の視点で意見を述べてもらいました。また、オンライン授業への移行にあたり、学生のインターネット環境に関する調査を実施し、結果をまとめるといった作業もしてもらいました。これにより、現在は大学側が学生ほぼ全員のインターネット環境を把握し、具体的な支援策を講じることが可能になっています。

他には、臨床実習が「レポート課題で単位を保証したうえで、任意の同期型オンライン実習を実施」という形式になったことに伴い、5年生には30を超える臨床実習のレポート課題について、内容や提出方法を教員と共に確認してもらったりしました。また4年生は、学生が主体となってオンラインPBLのパイロットを実施しています。

――学生は積極的に意見を出してくれましたか?

:意見を出すだけに留まりません。例えば、高学年の学生たちは「夏休みに臨床実習の補講をしたい」と委員会に提案して、自ら実習を作り上げるまでになっています。残念ながら夏に感染が拡大し、この補講も途中で中止になってしまいましたが。

――学生と話し合い、その意見をリアルタイムで反映させていくというのは、現場の先生方にとっても非常に労力のかかることではないかと思います。

:そうですね。現在は2~3週間に1回の頻度ですが、一時期はほぼ毎日WGの会議を開き、全学年の代表に対して2~3時間かけて丁寧に意見を聴き取り、対話していました。

我々は、WGの基本戦略の一つに「無理をしない」ということを掲げ、「できる人ができるだけのことをする」というブリコラージュ*1型のアプローチで対応するよう心がけています。しかしそれでも、教員の仕事量は膨大なものになりました。

現在、社会全体に不安や恐怖が蔓延しているように感じます。学生教育の場でも、先行きの見えない不安から、暴力的なまでに正論を振りかざして他者を批判したり、感情的になったりする場面を目にすることもあります。しかし、このような不確実性の高い状況下では、誰もが手探りで事を進めていくほかありません。互いの状況を想像し、配慮し合って、「できる人ができる範囲でやっていく」という姿勢が重要だと感じます。

学生が医学教育に主体的に参画する重要性

――医学生も当事者として積極的に医学教育に参画することの必要性はこれまでもしばしば指摘されていましたが、今回のような状況ではその重要性を再確認することができます。しかし多くの医学生たちは、大学側に自分たちの意見を届ける手段がない、と感じているようです。

:たしかに、名古屋大学のような事例は特殊かもしれません。かつては各大学の学生自治会がその役割を担っていたのでしょうが、現在はほとんどの大学で自治会が崩壊しています。学生の意見を集約して大学側に伝えていくための組織が存在しない、ということなのでしょう。

私自身、学生時代には自治会の委員長をやっていましたが、当時から自治会はあまり機能していませんでした。「授業の出席を取るべきか、取らざるべきか」といった話一つとっても、学年全体の意見をまとめることなど到底できなかったのです。

教員となってからは、赴任先の大学で自治会に代わる学生組織を作ることを何度か試みたのですが、あまりうまくいきませんでした。学生が意見を言っても、即座に反映することはなかなか難しく、彼らのモチベーションを維持できないのです。私にとっても、労多くして功少なしといった状況でした。

今回はコロナ禍という非常に困難な事態に直面しましたが、「学生が少しでも意見を言えば、翌日には反映される」という環境が作られたことは一つの光明でした。「何か困ったことがあっても、言えばなんとかなる」という手応えがあったことは、学生が主体的に取り組んでくれる大きな要因になったと思います。

――今の学生たちは、「自分たちが医学教育を作り上げていく主体だ」という意識を持っている人は少なく、大学や教員の側が提供する教育サービスをただ消費する「お客さん」的な意識が強いのではないでしょうか。

:今は教育に限らず、社会全体がネオリベラリズム*2に侵食されているように感じます。そのなかで、学生たちが自ずと消費者的な態度になってしまうという側面はたしかにあるでしょう。私自身は、教育や学習のなかに資本主義的な側面を取り入れすぎると、学びという活動の本質を見失うと考えています。教育は、「それをやって自分は何を得られるのですか?」といった問いから、ある程度自由であるべきではないでしょうか。

今回の本学の取り組みでは、学生たちにまず「この仕事は、あなたたちがクレームをつけ、それを教員側が全部受ける、といった類のものではない」とはっきり説明しました。「むしろ君たちにはたくさん仕事をしてもらうことになるから、覚悟しなさい」と。もちろんそうは言っても、学生がすぐに主体的なパートナーになったわけではありません。「困ったからなんとかしてくれ」「あの先生が無茶なことを押し付けてくるからなんとかしてほしい」といった声を受け止めて処理するような仕事も多くありました。しかしそれでも、「学生と教員が一緒に活動している」という意識は皆が持つようになったと感じます。

 

*1 ブリコラージュ…「ありあわせの材料や手段で目の前の状況を何とかする」といった意味。文化人類学者のレヴィ=ストロースは、ブリコラージュを人類の根源的な知のあり方だととらえ、「理論に基づいて設計する」といったような近代的な知のあり方と対比させた。

*2 ネオリベラリズム…新自由主義。政府の経済への規制や介入を緩和・撤廃し、市場の自由競争によって効率化を進めようとする立場。

 

withコロナ時代の医学教育
~これからの医学生の学びはどう変わるか~

Interview 錦織 宏先生
名古屋大学大学院医学系研究科総合医学教育センター 教授
(後編)

実証主義と構成主義の間を行き来する

――医学生はやがて医師としてこれからの医療を担っていく存在になります。自分たちが受ける教育についてはもちろん、医療のあり方について当事者意識を持って語れる若手を育てていくには、どのようなアプローチが必要だと思いますか?

:「先ず隗より始めよ」というように、まず教員たちが自分自身の言葉でそれらについて語れるようにならなければならないと思います。教員の側でさえ、「自分の教育哲学はこれで、医学教育をこうしていきたい」という部分を突き詰めることなく、「他の大学でこの方法が流行っているようだからうちも」という姿勢をとる人がいるくらいですから。しかし、教育というのは、ある現場で成功した構造をそのまま異なる現場に適用しても、うまくいかないことが多いと思います。自分の今いる現場にしっかりと立ち、そこで何が起きているかを見つめ、自分の引き出しからそこに合いそうなものを引っ張り出して試行錯誤していくしか道はないのです。こうしたアプローチは、実証主義*3的態度が主流な医学の世界では、あまり馴染みのないものかもしれません。

――医師になると、ほとんどの人は何かしらの教育活動に携わることになり、医学教育学の分野に興味を持つ人も多いと思いますが、「医学教育の専門家」だと自認する先生はあまり多くはないのでしょうか?

:最近はだいぶ増えてきたように感じます。教育熱心な人は、「どうすれば教育がうまくいくのだろうか?」と疑問を持つようになり、さらに一部の人は医学教育の分野に飛び込んできてくれます。しかし、「正しい教え方」を求めて海外の医学教育学の大学院などに留学すると、そこには構成主義*4的な認識論の世界が待っています。「正解なんてありません。大事なのは文脈です」などと言われ、多くの人が戸惑うわけです。そして留学から帰ると、「正しい教え方を知っているんでしょう」「研修医がたくさん来る良い病院にしてください」などと期待されてしまったりする。そのなかで、「画一的な“良い教育”なんてものは存在せず、自分自身で考え続け、答えを出し続けるしかない」という考え方に共感できた人たちが、そのまま医学教育学の世界で研究を続けていくのだろうと思います。

――「正解のない世界」は、医学教育学の世界だけの話ではないように感じます。例えば今後AIが発達していき、医師の仕事の一部を代替するようになるかもしれません。そのとき医師の仕事は、目の前の患者さんと向き合い、一人ひとりにとってより良い医療とは何かという「正解のない問い」に答え続ける部分に、より重きが置かれるようになるのではないでしょうか。

:私もそう思います。先ほども指摘した通り、医学の世界は実証主義的文化が根強く、「科学的知識や技術を厳密に適用して問題を解決する」という技術的合理性モデル*5で動いています。しかし、そうした「医学的知識の応用」の部分は、結構な割合をAIが取って代わっていくのかもしれないと思います。

だからこそ私は、構成主義的な考え方を医学の世界にもっと紹介していきたいと考えています。もちろん、実証主義的態度を捨てるという意味ではありません。外来などで「検査をするかしないか」「薬をどれにするか」といった場面では、構成主義的に考えていては答えがなかなか出ませんから。やはり必要なのは、実証主義と構成主義の双方の弱点を認識したうえで、二つの文化圏を自由に行き来する姿勢なのではないでしょうか。そして、そうした二つの文化圏を行き来できるような人は、医学教育のような分野から、あるいは行動科学や社会科学の研究を進めている公衆衛生学の分野から生まれてくるのではないかと思うのです。

教員の仕事は学生を信用し「裏切られる」こと

――最後に、今回のコロナ禍に直面した学生たちに向けて、メッセージをお願いします。

:学生のほとんどがそうあるべきだというわけではありませんが、問題意識を持って行動できる学生たちには、ぜひ行動してもらいたいなと思います。

そして、このような大変な時期だからこそ、学生と教員がもっと有機的にコミュニケーションをとれるようになってほしいと思います。これは学生に対してではなく、教員に向けたメッセージかもしれません。教員は、カリキュラムを変えたり、学習方法を改善したりする権力を持っています。それなのに学生が「意見を言う場がない」と感じてしまう背景には、「教員に言っても通じない」「わかってくれない」という諦めの気持ちがあるのではないでしょうか。まずは教員側が学生を信頼し、胸襟を開いて語り合う姿勢を見せることが必要だと思います。

教育の場では、学生がこちらの思った通りに振る舞ってくれることは多くありません。むしろ「裏切られる」ことの方が多いでしょう。裏切られることを恐れると、学生に対して非常に管理的な態度を取ってしまうことになります。しかし、学生にとっては「失敗する」こと、教員にとっては「裏切られる」ことのなかに、成長の糧は詰まっています。失敗が起きないような場を作って与えても、そこに学びはありません。ですから教員の皆さんには、ぜひもっと学生を信じ、そしてどんどん裏切られてほしいと思うのです。

 

*3 実証主義…観察や実験などによって検証可能な経験的事実のみに基づいて論証を行おうとする考え方のこと。

*4 構成主義…教育学や心理学の世界において、「知識や現実は人間と独立した形で世界に実在するのではなく、人間が外界と相互に関わることで構成される」ととらえる立場のこと。

*5 技術的合理性モデル…ドナルド・A・ショーンがとらえた専門家像の一つ。専門家像は従来「体系的な専門知識や技術を学び、現場の問題に『合理的』に適用するなかで熟達していく」という技術的合理性モデルでとらえられることが多かったが、ショーンはそれに対し「不確実で複雑な状況と向き合い、実践と省察を繰り返して知を深める」という省察(反省)的実践家モデルを新しい専門家像として提起した。