10年目のカルテ

全体のバランスを取りながら
チームをコーディネートする救急医に惹かれて

【救急科】相坂 和貴子医師
(手稲渓仁会病院 救命救急センター)-(前編)

救急車が来るのが怖かった

10年目のカルテ

――はじめから救急の道に進むつもりだったのでしょうか?

相坂(以下、相):いいえ、内科志望でした。私の地元は青森県の小さな漁村で、青森市からも2時間以上かかるような人口2千人ほどの村でした。合併して「市」になったものの、市街地からは車で1時間半。だから医学部に入った頃は「ここで医師をやるなら内科かな」と漠然と思っていました。

――では、どんな経緯で救急に興味を持ったのでしょうか。

相:初期研修先は、ER方式の救急がある病院から選んだんです。救急科に残るつもりは全くありませんでしたが、はじめから地域医療の道に進むのには不安もありました。まずはある程度の手技や知識を身につけたいと考え、Common Diseaseをたくさん診られる救急で勉強しようと思ったんです。

恥ずかしい話ですが、はじめの頃は救急車の受け入れが怖かったんです。でも、救急で活躍している先生はかっこよくて、だからなんとか苦手意識を払拭したいと思い、1~2年目でたくさん当直に入ったんです。そうしているうちに、「救急って面白いかもしれないぞ」と感じるようになってきたんです。

――どのあたりに魅力を感じたのでしょう。

相:チームをコーディネートしながら治療していくところでしょうか。例えば多発外傷の患者さんには、医師ひとりでは対応できません。他科の医師、看護師、放射線技師なども関わって、まさにチームでひとりの患者さんを診るんです。また、救急では初期治療と診断を同時進行で行うので、瞬発力や判断力も求められます。上の先生方を見ていて、救急医は全体に目を配り、バランスを取りながらチームをコーディネートしていることに気づき、そこに魅力を感じたんだと思います。

10年目のカルテ
10年目のカルテ

全体のバランスを取りながら
チームをコーディネートする救急医に惹かれて

【救急科】相坂 和貴子医師
(手稲渓仁会病院 救命救急センター)-(後編)

救急と専門科の役割分担

――市中病院での研修の後、大学に入局されていますね。

相:はい。3次救急のみを扱う大学病院を経て当院に来たのですが、救急部門が担う役割には違いがあると感じています。大学では救急部に整形外科医も脳外科医も所属しており、他科にはあまり相談せずに部内で完結できる体制でした。対して当院では、病態が2つ以上ある場合は救急で管理しますが、専門的な手術は全てそれぞれの専門の先生にお願いしています。例えば、多発外傷で頭・骨盤・足に外傷があるという場合なら、脳外科と整形外科の先生に依頼して関わっていただきます。私たちはそのコーディネートを行い、術後管理や合併症対策、リハビリなどを担当することが多いです。こうした役割分担は、施設によってだいぶ違うと思います。

――どのような患者さんを受け入れることが多いのでしょうか。

相:平日と休日で外来に訪れる患者さんが全く違いますね。平日の日中は、例えば脳梗塞でかつ肺炎を発症しているといったような、単科の病院では受け入れられない複合的な病態の患者さんが運ばれてくることが多いです。対して休日は、いわゆるウォークインと呼ばれる、自力で来院される軽症の方から、心肺停止状態といった超重症の方まで様々な方が時間を問わず来院します。こういった患者さんたちを救急医2名と研修医2~3名で診ています。

今後のキャリア

――これからどんな専門性を身につけていきたいと考えていらっしゃいますか?

相:今は初期診療を勉強させてもらっていますが、今後は熱傷治療や、画像診断・IVR*など、集中治療の専門的な技術を身につけていきたいと思っています。特に重症熱傷には興味がありますね。搬入時の傷の処置、管、輸液、感染症などを総合的に管理していかなければならないので、救急医としての視野の広さが問われる面白い分野だと思います。全身の70~80%ぐらいの熱傷になると、急変も多くて2~3か月の長期戦になるので、「なかなか治らない…」と嫌がる先生も少なくないのですが、みんながやりたがらないような治療を辛抱強くコツコツとやるのは私の性格に合っているのではないかなと感じています。

――いずれは地元に戻りたいという気持ちはありますか?

相:知識と技術に不安がなくなって、どんな患者さんが来ても怖気づかなくなったら…と思っているんですが、いつまでたってもそんなことを言っていそうな気がします(笑)。ただ、ここでいろいろな患者さんを診ていて思うのは、適切な初期治療をした状態で運ばれてくれば、助かる方もたくさんいるということ。冬場や天候の悪い時は、救急車で2時間ぐらいかかることもありますから、なかなか難しいのですが…。ここはドクターヘリがあるのでまだいいのですが、私の地元はもっと厳しい状況で、雪がひどい日は大きな病院まで3時間近くかかることも少なくありません。だから、50~60歳ぐらいになったら、地元の診療所で村の人たちのために働きたいとは思います。高齢の方や、漁に出ている間に負傷した方などの初期治療をできる限りしっかりと行って、多くの人を救えたらいいですね。


相坂 和貴子
2007年 弘前大学医学部卒業
2014年1月現在 手稲渓仁会病院救命救急センター

* IVR…エックス線透視や超音波像、CTを見ながら体内に細い管(カテーテルや針)を入れて病気を治す新しい治療法。

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