10年目のカルテ

常にやりたいことを見据え、
目的に合った環境で技術を身につけてきた

【救急科】土谷 飛鳥医師
(国立病院機構水戸医療センター
 救命救急センター 副センター長)-(前編)

救急科から外科へ

10年目のカルテ

――救急を選んだきっかけを教えてください。

土谷(以下、土):卒業後に僕が入った研修病院は、内科系・外科系・総合診療系の3つの研修コースがあり、総合診療系の中にさらに総合内科・総合外科があるという仕組みでした。僕はある程度ジェネラルに診られるようになりたいなと思っていたのと、救急のバタバタした雰囲気が好きだったので、総合外科、いわゆる救急コースを選びました。けれど、その当時はずっと救急医として働こうと思っていたわけではありませんでした。

3年間救急科に所属して当直を繰り返す毎日を送り、ある程度救急車の受け入れができるようになったころ、「何か職人技を身につけたいな」と感じるようになりました。そこで、そのとき一番興味があった外科に転向することにしたんです。

――このタイミングで、今の病院に来られたんですね。

土:はい。当時この病院は、昔から救急をやっている医師には有名な病院でした。というのも、ここは伝統的に外科が救命センターも麻酔科も管理しているという構造だったんです。この病院ならば、外科の手技も覚えることができるし、救急も麻酔も経験できる。そう思ってここに決めました。3年間、みっちり外科の手技を叩き込みましたね。

外科を3年もやっていれば、オペが必要な症例はなんとか対応できるようになります。ならば今度は、オペをしなくてもいい症例を治せるようになりたいなと思うようになりました。そこで次に身につけたいと思ったのがIVRの技術でした。当時この病院には常勤の放射線科医がおらず、非常勤の先生が来ている時にIVRをお願いするしかなかったので、「それならば、自分がIVRをできるようになればいいのでは?」と思ったんです。

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