10年目のカルテ

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救命救急センターにしたい

【救急科】椎野 泰和医師
(川崎医科大学附属病院救急科 副部長)-(前編)

学生時代から救急医を志して

10年目のカルテ

――救急に興味を持ち始めたのはいつごろでしたか?

椎野(以下、椎):中学・高校時代に、同級生が2人、外傷で亡くなったことがきっかけでした。当時、重症外傷をシステマティックに診られる病院は地元にほとんどなく、僕は「どうして助けられないんだ」と憤りを覚えました。それから救急医を目指すようになったのですが、医学部入試の面接で救急をやりたいと主張しても、「そんな科はないよ」と言われる時代でした。けれど今後必ず救急の分野は発展してくるだろうと考えていたので、大学に入ってからも救急をやるのに必要な勉強しかしていませんでした。

――研修病院を選んだ決め手は何でしたか?

椎:大学4年のとき、当時有名だった高度救命救急センターに見学に行く機会をもらったのですが、僕がやりたい救急とはちょっと違うなと感じました。確かにセンターでは重症患者さんを劇的に助けていましたが、僕は、頭をぶつけてしまったとか、高熱が出たとかで、歩いて病院に来る患者さんも診られる医師になりたかった。当時、一次救急から三次救急まで全てをやっている医療機関はそう多くなかったので、それに一番近いと感じた聖路加国際病院を研修先に選びました。僕が研修に入ったのが、ちょうど聖路加が救命救急センターを立ち上げた年だったので、僕も研修医として立ち上げに携わりました。

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