「地域の世話焼きおばさん」として、
子どもからお母さんまで見守る
~小児科医 山口 淑子先生~(前編)

医師の働き方を考える

今回は、岩手県医師会の常任理事を務めながら、地域の小児科医療を担う山口淑子先生にお話を伺いました。

地域の小児科医療を支える

小笠原(以下、小):跳び箱や犬小屋もある、かわいいお部屋ですね。

山口(以下、山):今は待合室を兼ねた子どもの遊び場ですが、いずれ地域の子育てを支援するような場にできたらと思い、開業時に作りました。

小:どういう経緯で開業されたんですか?

山:私は石川県出身で、東京女子医大を卒業し、埼玉医大小児科学教室で研修しておりました。3年目に埼玉県出身、岩手医大に勤務していた主人と結婚し、岩手に来ました。国立療養所盛岡病院(現・独立行政法人国立病院機構盛岡病院)で小児気管支喘息を主とした小児慢性疾患児の診療を20年やってきました。平成9年、「診療だけでなく、地域全体での子育て支援に参画したい。お父さん・お母さん・おばあちゃん、そして地域の人たちと一緒に子どもたちを育てたい」という思いから開業に踏み切りました。岩手を大好きな主人も賛成してくれました。

小:実際に開業してみて、やりたい医療ができるようになったという実感はありましたか?

山:とてもやりがいのある仕事になりました。多くの方と知り合い、その輪も広がっています。滝沢村は盛岡市に隣接しており、日本一人口の多い村です。私のクリニックの周りは若いご夫婦と子どもの家庭が多い地域で、開業した当時は人口5万人になろうとしていましたが、小児科医は2人でした。だから保育園の園医、学校医の割り当てが多く、それを積極的にお引き受けしてきました。村の集団健診の割り当ても来ます。たくさんの保育園、幼稚園、学校の先生方、そして村役場の方々と知り合いになりました。そうした、地域の開業医としての活動を経て、岩手県医師会学校保健担当常任理事に推薦いただきました。

医師会役員として震災対応

小:先生が県医師会の常任理事になられて何年もしないうちに、先の震災がありましたね。この地域に直接被害があったわけではなくとも、大変だったとお察しします。そのとき、先生の立場や役割から見て、どんな課題がありましたか?

山:発災当初は全国からDMAT、JMATなどたくさんの先生方をはじめ医療チームの方々が来てくださいました。私たち地元の仲間も応援に行かなければと焦っていました。しかし岩手県医師会の石川育成会長は「地元は応援チームが引き上げたあと、息の長い支援に入らなければならないのだ。その時にこそ力を発揮しよう」と話されました。その一つが被害の大きかった陸前高田市の岩手県医師会高田診療所の存在です。陸前高田は医師が3名お亡くなりになり、ほとんどの医療機関が流失、損壊しました。発災後すぐに陸前高田市に支援に入り活動していた日本赤十字の医療団の仮設診療所を引き受けて、その年の8月から現在も診療所を継続しています。内科、小児科、外科、耳鼻科、眼科、皮膚科、泌尿器科、心療内科、こどもの心の診療部など内陸の医師たちが土、日曜日を主として往復4時間かけて3時間の診療に出かけています。

そんな流れの中、発災から1か月後の4月に気仙医師会から陸前高田市の乳幼児健診と学校健診、保育園健診の応援依頼が岩手県医師会に来ました。その後、宮古医師会から山田町への応援依頼も同様にあり、学校保健担当の私の出番でした。岩手県医師会会長より岩手県小児科医会大沼会長(当時)にお願いし、全面的応援を受け5月から開始し、6月には学校健診、保育園健診のすべてを終えることができました。秋の就学時健診も無事終わり、これらの健診は1年間で地元の先生方にバトンを返せました。乳幼児健診についてはその後2年間支援が続きましたが、現在は被災地の先生方が頑張っていらっしゃいます。

小:まさに地域医療の担い手としてのお仕事ですね。災害時の対応の中で、女性医師だからこそ積極的に働きかけるべきだと感じた場面はありますか?

山:それに関しては、岩手県産婦人科医会の先生と助産師さんたちに教えられました。彼らは産婦人科医会の小林高会長の応援の声掛けに応じ、被災地の妊産婦さんに安心してお産をしてもらおうと、環境を整え、沿岸の妊産婦さんを内陸に呼んで無事に出産を終えるという素晴らしい活動をなさいました。子どもや妊婦さんは、通常時ならば周りに気を遣ってもらえますが、非常時になるとそれも難しくなります。そういうときこそ、私のような立場の人間が発言していく必要があると思いました。


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