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各論的事項 №17
「遺伝子医療と倫理」

髙久 史麿(日本医学会会長)

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 本文では遺伝子診断並びに遺伝子治療に関する倫理的問題に触れたい。

 

1)遺伝子診断

 2013年はDNAの二重らせん構造の発見(1953年)から60年、ヒトゲノムの完全解読(2003年)から10年目という節目の年にあたる。その意味では遺伝子医療とその倫理の問題を論ずるのにまことに適した年であるといえよう。遺伝学、遺伝子技術が生命倫理の重要な課題になるようになってから久しい。さらに次世代シークエンサーの開発によってヒトの全ゲノムの解析が1人10万円位の価格で行われるようになる時代が間もなく来ると予想されている。

 個人のゲノム情報は究極の個人情報であり、その情報への対応ということも近い将来大きな社会的な問題となるであろう。

 遺伝医療の初期には主に単一の遺伝子の変化によって起こってくる単一遺伝病の診断と治療、検査の結果の取扱い方、特に遺伝学的検査によって生ずる保険加入、就職、結婚での障害・差別などが倫理的議論の主要なテーマであった。

 近年、全ヒトゲノムの解読が終了し遺伝子多型(SNPS)の研究が本格化した結果、心筋梗塞や糖尿病、高血圧症、認知症などの誰でもかかるcommon diseaseに関連する遺伝子の研究が進み、個人の全ゲノムの解析が日常的に行われるようになると、その結果を各個人が上述の疾患を予防するために利用するというプラス面の可能性も明確に出てきた。だが、同時に健康な女性にゲノム検査の結果BRCA遺伝子のように卵巣癌や乳癌に罹患しやすい遺伝子異常が見つかった時に、どの様に対応すべきかなど、最終的には個人の判断に任せるとしても、その間に専門家による手助けが当然必要になってくる。いっそう困難な課題も生まれており、日本医学会は2011年に「医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン」を発表している。

 

2)出生前診断

 遺伝子診断に関する生命倫理の課題として極めて重要なのは出生前遺伝子診断である。出生前診断に関して1990年代に大きな議論になったのは、体外受精を行い受精卵が8分割胚になった時に1つの細胞だけを取り出して、疾患の診断のために分子遺伝学的解析をする方法である。遺伝的な異常があれば残った胚を廃棄する可能性の高い事が十分に想定される。この点に関してわが国では日本産科婦人科学会に臨床研究として一例ごとに申請し、倫理審査を受けた上で実施が可能となっており、その枠は限られている。なお、ダウン症に関しては従来から母体血清マーカー並びに胎児の頚部の超音波検査の結果からダウン症の疑いがもたれた場合、羊水検査などで診断を確定する事が行われてきていた。最近注目をされているのは、母体の血液中の胎児のDNAを用いてダウン症の診断を行う事が可能となり、それがマスコミでも大きく取り上げられた。母体血によるダウン症の診断に関しては、日本医学会の『「遺伝子・健康・社会」検討委員会』の下に設けられた『施設認定・登録部会』で、最初は臨床研究として申請を受け付ける事とし、2回にわたる審査の結果、21施設*が認可されている。

 

3)消費者直販型(Direct to Consumer:DTC)遺伝学的検査

 現在、医療機関を経ずにメタボ対策やダイエット対策を狙った簡便な遺伝学的検査キットが薬局やインターネットで販売されている。麺棒でとった口の粘膜細胞を送る方法である。さらにメタボリックシンドロームに関する検査だけでなく、子供の将来を占う遺伝子検査などもあり、日本医学会は2012年3月に

 「十分に正確な説明や医学的根拠のない遺伝子ビジネスに対し、消費者庁などによる監視体制の確立や法整備などを求める」提言を行っている。

 

4)遺伝子治療

 遺伝子治療は1990年にアメリカで行われたADA欠損の免疫不全症の患者のリンパ球に、ADA遺伝子を導入して患者に戻す治療が行われたのが最初である。この患者は学童生活が可能なまで回復したため、遺伝子治療が一躍注目された。その後各種先天性疾患などに対する遺伝子治療研究が数多く行われたが顕著な効果を示した例が少なく、一方フランスで行われたX染色体連鎖性重症免疫不全症(X-SCID)の遺伝子治療では、ある程度の効果を示したものの、4名で白血病が発症し、1名が死亡した事が問題となった。さらに1999年にアメリカのペンシルベニア大学でオルニチントランスカルバミラーゼ欠損症(ornithine transcarbamoylase deficiency:OTCD)の患者(18歳)の肝動脈にアデノウイルスベクターを投与したところ、患者が4日後に死亡するという事件が起きた。しかもこの研究で中心的な役割を担っていた医師が研究のスポンサーであるベンチャー企業の設立者であり、未公開株の30%の保有者であった事が問題となり、これを契機に2000年にはヘルシンキ宣言の中に利益相反をもりこむための修正がなされ、2002年に発表されている。

 

 *平成25年4月30日現在