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各論的事項 №29
「人工栄養、水分補給の維持と中止」

樋口 範雄(東京大学大学院法学政治学研究科教授)

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  •  終末期医療の場面での深刻な問題の1つに、「人工栄養、水分補給の維持と中止」という問題がある。たとえば、口から食べられなくなった患者について、医師が家族に対し次のような言明をする場合があると聞く。
     「胃ろうの設置を考えなければなりませんが、どうするかご家族で相談して決めてください。ただし、いったん設置したら取り外すことはできません」。
     なぜ「取り外すことはできないか」と尋ねた場合、「それは法によって決まっているからです」とか「それは殺人罪に当たるおそれがあるからです」という答えが返ってくる場合がある。
     このような対応をされた家族は困惑する。何しろ、医師の側はこのような状況に繰り返し遭遇しているかもしれないが、多くの家族にとっては初めての事態である。しかも、家族(患者)の生死に関わる決断をするように迫られる。そのうえ、先のような言明はいくつもの疑問・疑心を生む。
     第1に、胃ろうによる栄養補給で患者が少しでも長く生きられるなら、設置するのが当然ではないか。それなのに、ここで設置の有無を決定するというのは、実は「当然」という意味ではないのだ。それはどういうことなのか。設置した場合の予想される状況、メリット・デメリット、設置しない場合のメリット・デメリット、さらに一般に他の人たちはどうしているのかも聞いておきたい。
     第2に、それは家族で判断してよいものなのだろうか。患者の生死について、誰がどのように決定するのが適切なのだろうか。また、家族の中で意見がまとまらなかったらどうするのか。
     第3に、いったん設置したら外せないというのはどういうことか。法によって本当に決まっているのか。仮に決まっているとしたらそんな法は何のためにあるのか。また設置しないと死ぬというのなら、それだって殺人罪に当たるおそれはないのか。何よりも問題なのは、医師が、自分は殺人罪に問われたくないから、家族に責任転嫁しているように聞こえる点である。医師は患者のために最善の策を提示する存在ではないか。この医師は、保身だけを考えるような医師なのか。
     時には、「胃ろうを設置しないと、病院から施設へ患者を移せない(施設では、口から食べさせるための人的余裕がないから)」といわれる場合もあると聞く。これなどは、本来は、まだ食べられる状況である患者について、施設や制度の都合で胃ろうの設置が決まるということである。このようなケースでも、決して、患者の最善の利益が優先されているわけではないことに、家族も気づくだろう。

  •  以上の記述は、「人工栄養、水分補給の維持と中止」の問題についていびつな対応がなされていることを示す。このような対応がなされている原因はいくつかあるが、そのなかに法も、あるいは法のイメージも、大きな要素となっている。そこには2つの問題がある。
     第1に、生命維持治療の差し控えと中止でも問題となる、不作為と作為の区別がある。先の例でいえば、胃ろうを設置しないことは法律的に問題にならないが、いったん胃ろうを設置してそれを取り外すのは「殺人罪に当たるおそれ」があるというのである。だが、生命倫理の世界では、このような区分はできないとされている。実際、誰が考えても、設置しないなら死亡、設置して取り外しても死亡、というなら、結果は同じであり、しかも死期を早めるだけ前者の方がもっと悪い。後者の方だけ「殺人罪に当たるおそれ」があるという一部の法律家の考えは理解できない。しかも、実際には、日本老年医学会が策定した「高齢者の摂食嚥下障害に対する人工的な水分・栄養補給法の導入をめぐる意思決定プロセスの整備とガイドライン」(平成 24 年 3 月)のような専門家団体のガイドラインに沿って行動している限り、刑事事件になる「おそれ」は極小である。いや全くないといってよいくらいである。
     第2に、「生命維持治療の差し控え、中止」という問題と、「人工栄養、水分補給の維持と中止」とは同じに考えられないのではないか、という疑問が残る。前者は医療の範疇だが(そして過剰な医療の中止という問題だが)、後者は、いわば人間の生存の基本に関わる。水や栄養を補給することをやめていいものか。
     別項(医の倫理の基礎知識 各論的事項№28「生命維持治療の差し控え、中止」)でも述べたように、アメリカでは1983年のバーバー判決で、水分や栄養の補給を含めて、中止が認められた。実際、終末期や植物状態にある患者にとって、水分や栄養の補給は「医療的措置」の一部だと考えられている。
     水や栄養の補給は別、と考える人たちはおそらく健常者である。ひとたびさまざまな病気になると、実は「水や栄養」が「毒」に変わる例がある。水分の摂取を制限したり、カリウムやリンを控えるなど食事療法が命じられる場面は、医療では常識である。そうだとすると、生命維持治療と水分・栄養の補給を区別する理由はなくなる。
     この問題についても、法が関与して、終末期医療の現場をいびつなものにしているとすれば、そのこと自体を改めねばならない。そして、本当に患者のためになる対応とは何かを、本人の意思の尊重を基本としながら、患者、医療者、家族が一緒に考える仕組みを作る必要がある。もちろん十分な情報を得たうえで。