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各論的事項 №30
「医師の応招義務」

畔柳 達雄(日本医師会参与、弁護士)

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 医師法19条は「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と定めている。診療に応ずる義務、応招義務といわれる条文である。法律学上は、医師を通勤・旅行客や貨物輸送を引き受ける鉄道会社あるいは電気供給を行なう独占企業と同じ立場に置き、契約当事者の一方に契約締結を義務づけ・強制する条文の一つだと説明されている。そのうえで、この義務は、医師が医師の身分に基づき国家に対して負担する公法上の義務で、私法上患者に対して負担する義務ではないと解されている。同種の規定は、歯科医師法19条、薬剤師法21条、獣医師法19条にも存する。この条文のルーツも、医師法21条同様、明治初期の(ヨーロッパ)大陸法の継受に由来する。ボアソナードが起草した明治13年刑法(旧刑法)427条9号に「医師隠婆(のちの産婆、現在の助産師)故ナクシテ急病人ノ招キニ応セサル者」は、「一日以上三日以下ノ拘留ニ処シ又ハ二十銭以上一円二十五銭以下ノ科料ニ処ス」という条文がすでに存在している。旧刑法はボアソナードが当時のフランス刑法を基本に、ドイツなどの大陸法を参照して起草したということである。旧刑法のこの条文は、明治41年制定の警察犯処罰令3条7号を経て、大正8年医師の部分だけが旧医師法施行規則9条2項に移された。次いで昭和17年、医療関係者を戦争に駆り立てた国民医療法9条1項となり、昭和23年制定の現行医師法に引き継がれた。医師法制定の際、本条削除が検討されたが、守旧派の抵抗により罰則を削除して現在の形で残された。

 立法関係者は「医師の応招義務は法以前のものである性格にかんがみ、これを罰則を伴わない倫理規定であるとの認識に」たったものと解説する(高橋勝好「医師に必要な法律」南山堂)が、その後の経過は、規制当局者による現場の医師締め付けの強力な武器になっている。敗戦による医療施設特に病院が荒廃するなかで、厚生省は「正当な事由」を著しく限定的に解釈することを通じて、救急医療など本来、国・公立の医療施設、大規模病院が負うべき業務を、第一線開業医の責任に転嫁し続けてきた。

 しかし、最近になり、開業医を含めて医師の職・住分離が一般化し、中規模以上の病院が著しく人的・物的施設を充実させ、かつ全国的な救急医療体制が整備された今もなお、医師の身分法である医師法中にこのような規定があること自体異様であり、時代錯誤である。病院勤務医はもちろん、大都会・駅前のビル診療所を開設する医師を含めて圧倒的多数の医師が、本条の義務・応招義務の対象外であることを、事実上許容する結果となるからである。

 この点、医師法の母法国ドイツの現状は、明らかに日本とは異なっている。ドイツ連邦共和国医師法中に、応招義務の規定は存在しない。しかし、連邦を構成する各州に強制加入の医師会設立のための法律が存在し、そのなかで医師会が自律的に医師「職務規範(Berufsordnung)」を制定することを義務づけている。州医師会によって構成されるドイツ連邦医師会は、各州医師会医師職務規範の統一を図るために「Musterberufsordnung(模範職務規範)」を作成し、改訂を重ねている(最終改訂2011年)。模範職務規範には早くから、「救急医療奉仕義務(die Verpflichtung zur arztlichen Notfalldienst)」という規定が存在する。従来「診療に従事するすべての就業届出地の医師(alle niedegelassenen Arzte)」は、「救急医療奉仕(Notfalldienst)」義務を負うとされてきた。しかるに、2011年改訂版では「医師は、州医師会・診療職法の規定およびその規定に基づく規則により救急ないしは待機医療に参加する義務がある。」と改訂され、各州の医師職業規範もこれに追随した。換言すれば、救急医療参加は、医師会会員としての義務であり、全員参加が原則である(病気、産休などの例外がある。)。このような変革に基づき、各州医師会は、同じ地域(管轄)の保険医師協会と共同して「医師会および保険医師協会共通救急奉仕規則」を制定して、保険医師協会の経済的負担のうえで、全会員参加型の地域救急医療活動を行なっている。

 これまで患者は医師を選ぶ権利があり、医師も患者を選ぶ権利があるというのがアメリカ流医療だといわれてきた。確かに2010?2011年版アメリカ医師会倫理綱領注釈「9.06Free Choice(選択の自由)をみると「すべての個人は、医師を選択する権利を有する。」、「自由選択の概念は個人が一般的に医師を選択することを保障するものであるが、同時に医師が個人を患者として受け入れることを断わることもできる。」と明言し、「8.11Neglect of Patient (患者の遺棄)」でも「医師は患者を選ぶ権利を有する」と述べている。これとの対比でドイツの医師職業規範はどうか。2011年版第7条「診療の原則と行動規範」(2)は「医師は患者が自由に医師を選択し変更する権利があることを尊重する。反対に、医師も救急または特別の法律上の義務のある場合を除き、診療を拒否する自由がある。」と述べている。表現はやや異なるが、上記アメリカ医師会倫理綱領注釈と全く同じ考え方である。遡って調べたところ、すでに2003年版に同じ規定が存在し、1994年版1条(9)は「医師はその職業を行う場合自由である。医師は自分と患者との間に必要な信頼関係がないと確信したときなどには、診療を拒否することが出来る。救急の場合に救助するという義務はこれに該当しない」(岡嶋道夫訳)とされていた。換言すれば、ドイツでも、アメリカと同様に、契約締結の自由が大原則とされており、そのうえで、ここでは省略するが、貧しい人びとの医療、救急を要する医療の問題を考えていたのである。

 以上要するに、医師法19条は、医療の主体が個人開業医だった明治初期の医師像を前提に作られた法律であり、昭和後期の日本経済の大発展を背景に医業を行なう場所・施設である「診療所・病院」という概念、それら施設の経営主体である開設者概念が実態を伴って成立し、さらに全国各地に大規模病院が設立され、医師の過半数が病院勤務医になるに至った今日では、応招義務の要否は医療法・健康保険法中で規律すべき問題に変化している。また本来、国・自治体の担うべき救急医療の問題を、医師身分、医師個人の問題として論ずるのは明らかに筋が違っている。医師間の公平、社会的妥当性を考えるならば、ドイツのように、ある場所で医療業務に就くすべての医師に対して、その場所を管轄する地域の救急医療システムを整備し、その業務に参加し、奉仕する義務を課すのが一つの有力な解決策である。