医師のみなさまへ 医師や医学生のみなさまに役立つ情報を提供いたします。

新規ウィンドウでリンクします。

日本医師会のみなさまへ

各論的事項 №34
「安楽死と尊厳死の法制化の現状」

町野 朔(上智大学名誉教授)

印刷用PDFはこちらPDF

 

 1.かつては、病気、加齢、死は本人とその家族、そして、彼らに近しい人たちの問題であり、基本的には私的な領域に属するものであった。しかし現在は、人々の終末に至るまでの人生に医療・福祉のプロフェッションが関わり、人々が病院で死ぬことが通常になっている。個人の死はもはや純粋に私的な問題ではなく、公的な政策決定(public policy)が要請される問題になっている。そして、終末期医療は医療の専権事項ではなく、医師と本人の「阿吽の呼吸」にのみ委ねられるものでもないのである。

 終末期における医療の不開始、開始された医療の中止をめぐる議論は、日本においても古くからのものであるが、現在では、気管挿管、胃ろうを始めとする経管栄養、中心静脈栄養などの不開始と中止の許容性、これらが許容されるべきだとしたとき、その要件の如何が問題とされているのである。どのような状態の患者に医療の不開始・中止を行うことを認めるべきか、患者本人の意思、家族の意向はどの範囲で考慮すべきか、その認定の手続きをどうすべきか、などということである。

 日本では、終末期の患者について行われた医療の中止(抜管など)に対して警察が介入する事件がいくつか起こり[道立羽幌病院事件(2004年2月)、射水市民病院事件(2005年10月)]、国民の間に日本の終末期医療に対する不信を生じさせた。他方、日本の医療関係者たちの間では、日本の法状況は不明確であり、自分たちの行動が警察の介入を招くことがないか、家族などの関係者にどのように対応すべきか分からない、などの不安があり、明確なルールを求める声が上がった。

 

 2.以上のようなことから、終末期医療に関する法律を作ろうとする動きもある。

 1976年設立の「日本安楽死協会」(1983年から「日本尊厳死協会」)は、尊厳死を認める立法提案を行うなどの活動を続けてきた。しかし、その内容はliving willの法制化であり、積極的安楽死、「医師の介助による自死」(physician assisted suicide; PAS)を合法化しようとするものではない。「尊厳死法制化を考える議員連盟」は、2012年に2案からなる「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」を公表した。これもliving willに法的効力を認めようとするものであるが、大略次のようなものである。

 ① 死期が「間近」と判定された状態のときに、

 ② 書面によってなされた延命措置の中止等を希望する旨の意思表示に従ってなされた、

 ③ 【第1案】は延命措置の不開始について、【第2案】は延命措置の不開始と中止について

 ④ 法律上の責任を免除する。

 案が③の段階で2つに分かれているのは、樋口範雄教授が「医の倫理の基礎知識」No. 28, No. 29で指摘されている、延命措置の不開始と開始された延命措置の中止との間に倫理的相違があるという一般的な見解を前提にしているためである。

 

 3.一方、厚生労働省は前記の不安に対応するために、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(2007年5月)を作った。その後、日本医師会、各医学会からも、各種のガイドラインの提言が出ている。

 厚労省ガイドラインは、延命医療の不開始・中止の要件には触れず(これは法律のみがなし得ることである)、ただ「決定プロセス」について述べるのみである。すなわちそれは、本人の意思に基づいた本人の最善の利益を指導基準とすべきこと、患者・家族・医療関係者の話し合いによって進められるべきこと、終末期医療についての決定は担当医一人によるのではなく、「多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチーム」によるべきこと、などを内容とする。厚労省ガイドラインが公表された後には、終末期医療に関係して警察が病院に介入する事件は起こっていないようである。

 厚生労働省は、厚労省ガイドラインの医療現場における普及、医療福祉従事者の支援を目指そうとしている[「終末期医療に関する意識調査等検討会報告書」(2014年3月)27頁]。日本医師会生命倫理懇談会も、「法制化の前にリビング・ウィルなど患者の意思を尊重した終末期医療の体制整備と、厚労省や日本医師会などのガイドラインの実効的実施に向けて一層の努力を払うべきである」としている[平成24・25年度生命倫理懇談会答申「今日の医療をめぐる生命倫理―特に終末期医療と遺伝子診断・治療について―」(2014年3月)8頁]。

 

 4.終末期医療の法制化は、ある範囲で医療の裁量性を刑罰によって規制しようとするものであり、以上のようなガイドライン体制下の日本の終末期医療の現実において、また、最高裁判例[最決平成21年12月7日刑集6巻11号1899頁(川崎協同病院事件)]の存在を前提にして、患者の権利保護、医療者の法的安定性保護のために、この上さらに法律を必要とする事情があるのか、もしそうなら、どのような法律が必要かを議論しなければならない。