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<入選>
「告知の向こう側と私の考える究極のターミナル・ケア」
吉田 純子(29) 東京都世田谷区・主婦

 イチョウの木々が黄色く、鮮やかに街を染めた今年の秋の日、私の最愛の父はがんで亡くなった。六十四歳、約二か月半に及ぶ入院生活の果てであった。その朝、父の体を家に連れて帰る時、私はどうしようもない、申し訳のない気持ちを抑えることが出来なかった。

 「お父さん、うまく守ってあげられなくてごめん・・・・・」

 父が末期がんであると分かったのは、大腸にある腫瘍しゅようの摘出手術の時だった。手術前は、そのがんがどの程度進行しているかさえも分からなかったが、いざ切ってみると、がんはその部位にとどまっておらず、既に全身に、無数に転移していたということだった。余命は三か月から六か月で、抗がん剤等の治療法も、もはや効果なしと医師から告げられた。相談の末、本人にはがんが体内に残っていることのみを伝え、余命や進行していたことは、一切告知しないことにした。

 私たち家族が、父に真実を告知しなかったことは、現代では常識である「インフォームド・コンセント」を無視したことなのかもしれない。患者には、自分の病状を詳しく知り、治療方法を選択する権利がある。しかし、父のように余命宣告を受け、しかもこれという有効な治療法も無い患者の場合、それ以上何を伝えれば良いというのだ。

 確かに、自分の死期を知ることで、残された時間の過ごし方を選択出来る。だが、「あなたの余命は、残り三か月ぐらいですが、これからどうしますか」ということを突然告げられても、そこには絶望と恐怖しか残らないような気がした。人の人生の終わりは、科学やデータで判断され、他人の口から告げられるほど、軽い物ではないはずだ。私は、文明社会の歪みのようなものを感じた。

 現代の医療には、告知の向こう側にあるものが見えない。余命宣告をした後の対応が、あまりにも希薄すぎるように思う。告知とは、医療側からの一方的な物であってはならないはずである。患者は、医療を受けるに至るまでは、健康に、それぞれの生活を送って来た、一人の人間なのである。それぞれに異なったバックグラウンドがあり、そのどれもが尊い。一つの生命に対しての重大な宣告である。告知は、患者個人のバックグラウンドや性格を十分に理解した上で、個人に合わせたカウンセリングや、精神的ケアを用意してから臨むべきだと思うのだ。

 父の入院中、しばしば私は、病院とは、死にゆく者に対してではなく、治る見込みのある者だけのためにあるのだと思った。父は、必死で病気を治したいと思っていたが、治療のすべは何も無かった。医師が治療を行わないことに矛盾を感じ、父は薄々察し始めた。だがそれでも私たちは、最期まで事実を告げなかった。互いに、何か知っているのではないか、と感じつつ、核心を突かない「なんとなく」というその関係さえも、いとおしい時間のように思えた。父を絶望から、精一杯守りたかった。私は、何も行わない医師に、うそでも、片栗粉でもラムネの粒でも、水の点滴でも良いから、薬を与え、父を安心させてもらいたかった。父に治療をしているふりだけでもして欲しかったのだ。

 ターミナルケアの場として、ホスピス、緩和ケア病棟、あるいは在宅ホスピス等があるという。死期の迫った患者に、心の安らぎを与え、苦痛を和らげるための医療であるが、まだ限りがあり、費用もかかる。入院するには、患者の同意も必要であるという。こうした施設で最期を迎えるためには「本人への告知」というハードルを越えなければならない。

 私には、これらのターミナルケアの多くが、まだごく限られた人のためのものであり、余命いくばくも無いという、つらく、重い宣告に耐えた人だけが受けられる、代償のような物に感じられてならない。出産の方法〈生命の始まり〉に幾つもの手段があるように、命の終わりにも幾つかの選択肢があっても良いのではないかと思う。現在のターミナルケア施設の多くが、「告知した」という結果に基づいたものでなるならば、「告知しない」ことを選んだ家族と患者は、一体どのように心の安らぎを得られるというのか。

 父の闘病中、私は何度も、夢のようなこんな病院はないかと想像してみた。それは、〈治療のすべもなく、終末期を迎えた患者を、余命宣告というつらい経験にさらさずに、全力で治療に尽くすふりをしてくれる病院・患者を矛盾と不安から守り、究極のうそに大まじめに付き合ってくれる、優しい病院〉である。治すための医療ではなく、死期に付き合ってくれる医療。そんな理想的な場所があれば、私はもっとうまく、父を不安と矛盾から守ってやることが出来たかもしれない。


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