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<入選>
「こころ」
白間 里美(30) 岡山県岡山市・会社員

 「残念ですががんです。それも全身に転移しており手の施しようがありません。検査の結果次第ですが長くて三か月でしょう」

 広くて寒い会議室に主治医の重苦しい声が響いた。母は私の隣で固く握った手の上に涙をこぼしながら震えている。私はどこかひとごとのような気分でその光景を眺めていた。よくあるテレビドラマのワンシーンだ。いや、違う。これは現実だ。そんなことを考えながら真っ白になっている頭の中を整理した。父が検査入院して三日目の夜のことだった。

 夏の終わりのころ、父の職業病でもある腰痛が激しくなり、日常生活すらままならなくなった。整形外科、整骨院、針きゅう院などありとあらゆる場所に出向き治療をするも、一向に改善せず、仕事中もソファに横になる日が増えていった。それに加え食欲がなくなり、大好きなお酒すら受け付けなくなった。さすがに父も自分の体の変化に疑問を持ったのか、かかりつけの診療所で精密検査をした。結果は「胃潰瘍かいよう」。血液検査も問題なし。毎日点滴を打ちながらの生活となった。

 しかし父の体調はよくなるどころか日増しに悪くなった。それから二か月がたったころ、父は仕事中に激痛に襲われ救急外来に駆け込んだ。そのまま二、三の検査をして帰宅した。それから一週間後、検査の結果を聞きに総合病院に行ったところ、検査入院を勧められた。父は帰宅後、仕事の段取りを母に指示しながら入院準備を進めていた。二度とこの家に戻ることができないとは知らずに…。

 私は父のがん宣告をうけてもまだ納得できなかった。毎日点滴に通っていたのだから。検査もしていた。それにまだ五十八歳だ。怒りの矛先は診療所の医師に向いた。私は診療所に向かった。幼いころからお世話になっていたホームドクターだ。信頼もしていた。医師の顔を見た途端、様々な感情が込み上げてきて医師をなじった。医師もにわかにはがんということが信じられなかったようで、ぼう然と立ち尽くし、肩をおとした。カルテを見せ、血液検査の結果を照合しながら詳しく説明をしていく。実際、その結果からは何も疑わしい反応は出ていなかった。帰る間際に医師を見ると唇をかみ、目を潤ませていた。そして「私にできることがあれば何でも言ってください。力にならせてください」と私の背中に向かって言った。

 その後、詳しい検査の結果、原発巣は不明だが、がんは肺・胆嚢たんのう・リンパ節・骨など全身に転移しており、三か月は生きられないだろうと伝えられた。父に告知はしない。その上でなるべく痛みを和らげて欲しいとお願いし、緩和治療が始まった。

 父の希望もあり、私が付き添いをすることになった。一分一秒が父と過ごす時間のカウントダウンだと思うと、涙がこぼれて仕方なかった。そんな中、私と同年代らしき看護師さんが頻繁に声をかけてくれた。とても明るく気さくなそのナースは、暗くなりがちな私にいつも元気を与えてくれた。担当医はまだ若いドクターだったがとても熱心で、一日も欠かすことなく朝晩様子を診にきてくれた。日曜も祝日も大みそかも元日も欠かさずに。

 父が亡くなった日の明け方。母が病室に来るころには父の脈は微弱になってきていた。母の顔を見た途端、私は涙をこらえきれなかった。病室の外で涙をふいていると、例の明るいナースがいつもとは違う真剣な顔で私の手を握り「もうこれ以上私たちはお父さんが嫌がることはしないから。お父さんの好きなことをしてあげて」と言った。父に最後のお酒を飲ませてあげたいと伝えると快く許可してくれた。脱脂綿に含ませた日本酒を口に当てると、急に口を開けうれしそうな顔をした。その五分後、父は旅立った。五十日間の入院生活だった。

 私はあふれる涙もぬぐえずに廊下に立ちつくしていた。背後に人の気配を感じて振り返ると例のナースだった。すると私を抱きしめ「よくがんばったね」と繰り返した。そのほおには涙の跡があった。

 父の死後、担当医から診療所の医師が通院中の検査結果やカルテを主治医の元に持参してくれていたと聞いた。そして診察の合間や診療後に病棟にきては、主治医から病状や様子を聞いて帰っていたそうだ。

 私は五十日間、毎日病院で様々な医療従事者を見た。医療過誤、隠ぺい、改ざんなど様々な問題が取りざたされているが、少なくとも私が出会った医師、看護師などは本当に心が通う医療で向かいあってくれた。患者やその家族の立場に立った医療とは何か。今までそのようなことは考えもしなかった。しかし私は父の死により医療の本質がわかった気がする。「技術」でも「経験」でもない。「心」である。そのことを教わった気がする。

 父の死から半年。私は医療従事者となっている。資格を取得し、診療報酬請求事務をしている。きっと父は笑って見てくれているだろう。


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