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<佳作>
「わたしがお医者さんになったら」
藤本 かおる(9) 東京都西東京市・小学3年生

 わたしは小さいころ、お医者さんか、かんごしさんになりたい!と、強く願っていました。ようち園の先生にも「お医者さんになったら先生の病気、なおしてあげるね」と言っていたほどです。

 どうしてお医者さんになろうと思ったのかと言うと、動物や人の体のしくみがどうなっているのかを調べるのがとてもすきだからです。ペットも大すきです。

 本当は、人間のお医者さんになるのではなく、ペットのお医者さんになりたいのです。人間のお医者さんにもなりたいけれど、ペットのお医者さんの方が、いつも毎日、動物といっしょにいられるからです。それに、長年動物のお世話、ちりょうなどをしていると、きっと、動物の気持ちが分かるはずです。動物の気持ちが分かるなんてゆめのようです。

 ところで、先ほど書いたように、わたしは、人間のお医者さんになりたがっていました。そのころは、ペットのお医者さんなんて、この世にあるということさえ知らなかったのです。

 けれど、一つ考えこんでしまうのは、お医者さんになるには、ゆうしゅうでなくてはいけない、なったとしても、きゅうきゅう車が入ってくるような大きな病院なんかのお医者さんになってしまったら、もし、薬のりょうや、飲ませる薬や、ちりょう法をまちがえたら、それこそ人の命にかかわるのです。ですから、こんな私がやれるわけないと思って、ゆめをちがうものにしたのです。と言っても、あきらめたわけではありません。ただ、だんだん大きくなっていくうちに、母や自分が集めたじょうほうに耳をかたむけてみると、(こりゃ、もうだめだ)とぜつぼうしてしまうほど、お医者さんは大へんなんだ、えらいんだということがわかってきたのです。

 小さいころは、(なりたいものにはなんでもなれる)と思っていたけれど、今では、そんなふうには行かないきびしい世の中をだんだん、ありありと分かってきたのです。だから今はマンガ家になろうと、絵をたくさんかいています。けれど、まだ、いしきのかたすみに(お医者さんになりたい氏jという、ほんのわずかなきぼうがもえのこっています。

 そして、この作文を書いた時、ある一つのぎ問が頭にうかびあがったのです。それは、死、生ってどんなものなんだろうということです。いつもは平ぼんに思われている生、、めったに、実感したことない、たん生、死。これらは、いつもはいしきのかたすみにちぢこまっていて、ある時、実さいに起きた時だけ、のうりにその三つの言葉がはりつき、しばらくこびりついて、はなれないのです。

 わたしも、時々ようかいの本を読んだり、死んだそ父のことを考えると、その言葉がありありとうかびあがってきます。ようかいの本を見ると、たまによみの国(あの世のようなもの)、天国、地ごくというようなものが出てきます。するとわたしは、(死んだら、よみの国へ行くんだ。よみの国ってどんな所だろ。少しだけなら地上見えるかな。どんな食べ物があるんだろう。地上と同じかな)と、いくつもいくつもぎ問が出てきます。

 だから死、たん生、生はまだはっくつされていない、地中深くの中にずっとうずめられたままのきょうりゅうのほねのようなものです。死は、なにか何ともいえないような、だれも見たことがない、神が私たちに与えた、ゆうこうきげんでしょう。そんなことを考えているうちに私は(医者になったら、もしかしたらせい命や、生のゆうこうきげん、死のひみつなどを調べることができるかもしれない)と思ったのです。

 話題はかわるけれど、わたしはこれを書き終えた時にふと気がつきました。それは、お医者さんは、死ぬ人と生まれる人のおくり役とおむかえ役なんだと思ったのです。大きな病院などのお医者さんは、きっと一度はそんなことをけいけんしたと思います。そんなことを考えると、お医者さんは、いっしゅのまほう使いのような気がしてきます。こんな小さな私には、そう思えるのです。ある時はしずかに死ぬ人をおくり、ある時はにぎやかにたん生をむかえ、またある時は、もう少しで死にそうな人を、ひっ死でちりょうして、きき一発で見事なおしたり、本当に、とてもふしぎなそんざいだと思います。

 やっぱりこの作文を書く前にも書き終わっても、お医者さんは大へんな仕事を持ったえらい人だなぁと思います。私も、この作文を書いた後に(やっぱりお医者さんになりたい!)というきぼうがわき上がってきました。


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