日医ホーム心に残る医療 >>サイトマップ  

<厚生労働大臣賞>
「俺がついている」
山本 純士(48歳) 愛知県知多郡・養護学校教諭

 小児病棟に着くと、教室に荷物を置いてから病室に向かった。

 「おーす、ケンちゃん。用意はできてるかあ。始めるぞぉ・・・」

 六人部屋に入り、受け持つ小学三年生の子の名前を呼んだ。

 病気で入院をする子どもたちを対象に、教師を派遣して授業を行う「訪問教育」という制度がある。私はその「訪問教育」を担当する教員で、きょうは週に三回ある、その授業日だ。

 ケンちゃんは返事をせず、こわばった顔をして一番奥のベッドに腰掛けている。どうしたのだ、何か様子が変だな。そう思った瞬間、「やったことあるんかよー」。

 背中から怒声がした。声の主は中学三年の龍一郎だった。三人の看護師さんが彼のベッドを囲んでいる。

 「でも、これ、大切な薬なんだよ・・・」。ひとりが薬液パックがふたつつるされた点滴棒を握って、なだめるように話した。「じゃあ、おまえがやれ。どんだけ苦しいか知っとるのか!」

 龍一郎は上半身を起こして、テレビの前に置いてあったコップを手で払いのけた。プラスチック製のコップは床に飛び、音をたててベッドの周りを転がった。腕は点滴棒にも当たったのか、パックがゆさゆさと揺れた。「S先生、呼んできて」。三人のなかでは年かさの看護師が叫んだ。

 「だれが来たっていっしょだ。おれは帰る」。龍一郎はベッドから降りると簡易衣装ケースの取っ手を乱暴に引っ張った。引き出しはそっくりそのまま外に飛び出て、中に入っていた服や靴下があたりに飛び散った。

 顔面を蒼白にして、彼は裸足のまま飛び散った服をけりあげた。「落ち着いてリュウ君、お願いだから、落ち着いて」。残ったふたりのまだ二十代と思われる看護師が必死になだめた。

 白血病の子どもたちに投与される抗がん剤は、点滴として数日間続けて子どもたちの体内に入れられる。個人差はあるものの、最も苦しい日はエビのように身体を折り曲げ、嘔吐を繰り返す子もいる。治療を何度か繰り返すと、髪の毛はすべて抜け落ちる。子どもたちにとっては、つらく厳しい治療が続くのだ。

 S先生がゆっくりと部屋に入って来るのと、龍一郎が、「どけっ」と言って、目の前にいた若い看護師を突き飛ばしたのはほとんど同時だった。ドスッと音をたてて壁にぶつかった彼女は小さな悲鳴をあげた。

 「リュウ君!」。S先生のとがめる言葉が病室に響いた。いつも穏やかな笑みを絶やさない彼の、初めて聞く厳しい声だった。

 龍一郎の動きが止まった。「べつに、死んだっていいんだ・・・」。荒い息をしながら龍一郎がボソリと言った。

 皆が押し黙り、病室から音が消えた。

 やがてS先生が無言で床に飛んだ服や靴下を拾い集め始めた。そしてそれを丁寧にたたむと、引き出しの中に戻した。

 病室を出るためには、龍一郎のベッドの横を通らなければならない。私とケンちゃんは目の前で起きたできごとに気おされ、病室を出られなくなっていた。「山本先生、授業、行って下さいよ」。S先生が私たちに気付いたようで、こっちを向いて言った。そしてすぐに龍一郎に顔を戻した。

 「おれがついているんだ。死ぬわけがないだろう。先生をなめるなよ・・・」。私たちが部屋を出るのに見向きもせず、S先生は龍一郎の両肩に手をのせて言った。

 それからS先生が、どんな話をしたのかは知らない。だが二時間の授業を終えて部屋に戻ると、龍一郎の顔からさっきまでの激しくいらだった表情は消え、看護師さんふたりとトランプをしていた。私とケンちゃんもトランプの仲間に入った。やがて遊び終えると、「さあ、しょうがないから、やるかあ。S先生が泣くからなあ・・・」。そう言って龍一郎は抗がん剤の点滴を始めた。

 まったく医師というものはすごいものだ、と思った。子どもの不安定な心に寄り添いながら、元の生活に戻るという希望を持たせ、厳しい治療にも立ち向かわせていく。それは「子どもたちのいらだちや不安を受けとめつつ、未来に希望を持たせる」という営みであり、教師である私たちこそやらねばならない仕事であるはずだ。

 自分は教師として、子どもたちとあんなふうに向かい合っているのだろか。う〜む、どうもそれはまったく自信がないなあ・・・。そんなことをつぶやきつつ、病室を出てナースステーションの前を通ると、S先生が、「わっはははは」と大きな声を出して笑っていた。

 まったく医者というものはすごいものだ・・・。私は、もう一度そうつぶやいた。


BACK >>>

  日本医師会ホームページhttp://www.med.or.jp/
Copyright (C) Japan Medical Association.
All rights reserved.