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<読売新聞社賞>
「血球が血球を食べてしまう病気」
梅田 秀彦(41歳) 神奈川県綾瀬市・自営業

 それは平成十二年二月十日木曜日の事だった。仕事中の私の携帯に妻から電話が入った。「昂希の様子がおかしいから、なるべく早く帰ってきて」

 五歳になる我が家の二男昂希は、一週間ほど前から38度を超える熱を出し、ここ一、二日は食事も取れない状態になっていた。「病院でインフルエンザって言われただろう」「でも、解熱剤も効かないの。絶対おかしいから早く帰ってきて」「わかった、今から帰るから」

 私から見れば、毎年子どもたちの誰かが繰り返す、いつもの冬の出来事というふうにしか思っていなかったが、妻は、「今回はちょっと変」といい続けていた。この、母親の直感のようなものが的中することになる。

 家についてすぐ、かかりつけの医院へ行った。「衰弱しているし、肺の音も少し気になるので、市立病院へ行ってください。今紹介状を書きますから」。市立病院に着いたときには通常の診察時間は終わっていて、診てもらうまでに一時間以上待った。「確かにかなり衰弱しているから、とりあえず入院しましょう」。この日から、昂希の病気との闘いが始まったのだった。

 家族の入院という出来事を初めて経験した私たちは、その晩ほとんど眠ることができないまま、翌朝面会のために病院へ行った。少しは楽になっただろうなどと思いながら病室に行き、昂希の様子を見て、ちょっと違和感を覚えた。私たちに気づいても、予想に反して、泣き出すでもなく、ひとり置いていかれた寂しさを訴えるでもなく、まるで無関心といった様子なのだ。

 「昂希君のお父さん、お母さん、先生からお話がありますのでこちらへ来てください」。別室で会った医師は、名前は覚えていないが、いかにも小児科医らしい優しそうな雰囲気の人だった。「肺炎の疑いということで入院してもらいましたが、血液検査をした結果、異常が見つかりました」

 「肺炎ではないということですか」「ええ、肺のほうにも少し影があるのですが、炎症反応を示す数値が異常に高いのです」と言って、医師は検査結果のレポートを示し、「ここにあるLDHというものの値が非常に高いのです」「白血球の数と血小板の数も減っていて、多少貧血もあります」「おそらく、もっと重大な、白血病のような腫瘍系の病気、膠原病、川崎病などが考えられます。少なくとも、一週間やそこらで退院できるような病気ではないと思います」

 運悪く、その日は三連休の初日だった。「今日は休みでこの病院はこれ以上検査ができませんし、万一の事があるといけないので、設備の整った大学病院に移りましょう。K大学病院に連絡してあります。病院から病院への転院なので、救急車を手配しました。私も一緒に行きますので、すぐに支度をしてください」。あまりに急な展開に、私たちはただ呆然とするばかりで、事の重大さには、このときはまだ思い至らなかった。しかし、このとき既に昂希は死の影と闘っていたのだ。

 K大学病院に移ってからも、病院は当直体制で詳しい検査はできず、ただ血液に異常があるという説明しかなく、その三日間、昂希は薄い栄養点滴を投与されているだけで、ほとんど何の治療もしてもらえなかった。病気に対する知識の無い私たちは、それでよいのだろうと思っていたけれど、昂希はどんどん悪化していき、連休最終日の日曜日には全身がむくみ、高熱があるのに手足は氷のように冷たく、ほとんど目を開けなくなった。その状態に至っても、無知な私たちは昂希の命が消えかかっているなどとは思いもせず、漠然とした不安を抱きながらも何もすることができなかった。

 翌日、連休が明け、詳しい検査が行われた。医師から受けた説明は、あまりにも衝撃的なものだった。「息子さんの病気は、血球貪食症候群という血液の病気です。非常に進行が速く、命の危険があります」「簡単に言えば、ある白血球が、他の血球を食べてしまう、破壊してしまう病気です」「たとえば白血病であれ、ここまで急激な経過をたどることはありません。そういう意味では、白血病などの腫瘍系の病気よりも危険です」「症例の少ない病気で、治療法は確立していません。この病気では、一割程度しか救命できていません。大変言いにくいことですが、ここ数日が山となりますので、覚悟をしておいてください」

 説明をしてくれた血液専門のN医師は、言葉を選びながら、丁寧に説明してくれた。

 「この病気には、原因となる病気があり、その病気が何であるかはっきりするのに一週間程度かかります。昂希君の場合、原因がはっきりするまでもつかどうかというところです」

 妻は隣で声を殺して泣いていた。私もこのあたりまでは何とか覚えてはいるが、その先どんな話があったのか良く思い出せない。頭の中が真っ白になり、混乱していた。ただ、話の最後に、「私たちにとっても難しい病気です。病院全体で全力を尽くしますので、決してあきらめないでください」と言ったN医師の言葉に、「お願いします」と返した私の声が、涙声になってしまったことを恥ずかしく思ったのを覚えている。

 そのときの昂希の状態は、病名の通り、血球は貪食されつくし、骨髄の中も空っぽの状態で、医師によれば「危篤の一歩手前」の状態になっていた。既に輸血や抗がん剤の投与などが行われていて、昂希の周りにはドラマでしか見た事が無いような医療機器がたくさん置かれ、そこから延びるチューブやコードが昂希の体につながっていた。治療を始めてからは40度近かった熱も下がり、昂希は相変わらず目を覚まさないが、少しは楽になったように見えた。昂希の体には、薬や血液成分など、次から次へといろんな液体が点滴されていく。

 昂希の担当となった病棟医のH医師は、一時間と空けず病室に顔を出した。夜中も同様に病室に顔を出しては様子を見ていった。明け方になって採血をし、ほんの二、三十分後にH医師が息を切らして戻ってきた。「お父さん、お母さん、昂希君の血液が、輸血した分だけそのまま改善しています。いい状態ですよ」「悪いときには、入れた先から壊されてしまって、いくら輸血しても改善しないのです」「昂希君は入れた分だけ増えているので、希望が出てきましたよ」

 これを知らせるために、検査室から走ってきてくれたのである。たった一人の患者のために、若い女性の医師が自分の時間を犠牲にして治療にあたってくれている。「ありがたいことだなあ」と、命がけの戦いをしている息子の横で、そんなことを考えていた。

 入院して以来、夜も昼もずっと昂希を診ていてくれたH医師は、いったいいつ眠っていたのだろうか。医者はみんなこんなに忙しいものなのだろうか。それともこの人は特別なのか。少なくともこれから出会う何人かの医師は、H医師と同じように忙しかった。

 翌日、万一の場合に備えて、呼吸管理のできるHCU病棟に移ることになった。病棟が代わってしまうので、H医師とはお別れである。担当医が代わってしまうことになんとなく不安を感じていたが、HCU病棟で担当になったT医師は、H医師同様懸命に治療してくれた。重症患者を何人も担当している彼は、いつも走っていた。

 HCUに移動してからは、治療がさらに本格化し、昂希につながる点滴チューブは六―七本に増えた。食事が取れないため、鼻から流動食用のチューブも入れられた。目が覚めていてもおしっこやウンチが漏れてしまっているのが分からない状態になってしまい、おしめをした。

 ある日、寝ていた昂希がどこにそんな力が残っていたのかというほど、突然ガバッと上体を起こし、激しくせき込みながら吐血した。鳥肌が立った。私たちはほとんど悲鳴のような声で看護師を呼んだ。T医師と看護師が駆け込んできて、処置をする間私たちはロビーに出された。

 もうだめなのだろうか。呆然として二人並んでいすに腰掛けていると、S看護師が近寄ってきて、「お父さん、お母さん、お体は大丈夫ですか」と声をかけてきた。昂希ではなく、私たちに。私は、「だいぶ慣れました」と少し的外れの答えを苦笑いしながら返した。私たちを気遣う言葉をかけてくれる看護師もいる。「家族のケアまで考えなければいけないとは、大変な仕事だなあ」。またもそんなことを考えていたが、S看護師の言葉は、なんとなく心に温かく響き、うれしかった。昂希の吐血は胃にたまっていた血液を吐き出したもので、大事には至らなかった。

 それからも、病状はなかなか改善せず、医師からの「峠越え」の言葉をもらうまで、半月ほどかかった。HCUを出て、まだ保護隔離が必要なので個室に入った。個室に移った日、T医師が「食事が取れるようになってきたので、何か昂希君の好きなものを持ってきて食べさせてあげてください」と言った。翌日、妻は昂希のリクエストのシャケのおにぎりを作るため、いつもより少し高いシャケを買い、「シャケを焼くのがこんなに嬉しいなんて」と涙を流しながら、昂希が食べやすいように、小さなおにぎりをたくさん作った。「こんなに食べないね」と作りすぎたおにぎりを半分家に置き、昂希の面会に行った。予想に反して、昂希はたくさん食べ、私たちやT医師を驚かせた。T医師は、「食べ過ぎないで」と言いながら、顔には「もう大丈夫」という表情が浮かんでいた。

 こうして昂希の命は医師をはじめとする病院スタッフの懸命の治療で救われた。この後も、昂希の闘病は長く続くことになり、さらに何度も命の危機を、この病院スタッフに救われる。

 血液貪食症候群の治療は、ある程度指針が固まってきているとはいえ、まだまだ手探りの状態で、十数年前なら救えなかったかもしれないと、治療を総括していた免疫専門のM講師は言う。治療の中心的な薬として、シクロスポリンAという免疫抑制剤があることで、治療の成績は上がってきているのだそうだ。この薬も開発されてから日の浅い薬であり、この薬が開発される前であったなら、昂希の命は守れなかったのかもしれない。

 昂希は今、普通に学校に通えるまでに回復し、毎日を元気に楽しく過ごしているが、今の医療では完治させることはできないのだ。現に血液検査をすれば、必ず異常な部分がある。肝臓や脾臓の腫れも完全には治まらない。今は骨髄移植をするかどうかの選択に頭を悩ませている。

 いつの日か、「血液貪食症など恐るるに足りず」というほどに医学が発展することを切に願う。


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