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<入選>
「父と生きる」
赤羽 洋子(53) 長野県塩尻市・主婦

 私の父(現在八十三歳)は要介護五である。つまり全介助が必要とされる。父の体が不自由になったのは、子供のころ木から落ちたためである。その後、徐々に全身にまひが進行し、起立歩行ができなくなったのは二十年ぐらい前からである。その時からずっと母(現在七十九歳)が介護にあたってきた。しかし、母にも疲労や腰痛、不眠が続き、介護の限界がきた。そのため私は三年前に、仕事を辞めて父の介護をすることにした。

 父は一家を養うため、不自由な体でよく働いた。若いころ、仕事を探したが、不自由なため、できる仕事は何もなくすべて断られ、結局自分で行商に歩いた。昆布、水あめ、豆腐、くしなど色々な物を売り、その後母がミシンを習い、腰ひもや布団カバーなどを縫って、父がそれらを売り歩いた。やっと生活が安定してきたころ、長男である私の弟が交通事故に遭い、十九歳で命を落としてしまった。父は一か月余り仕事を休んだが、ふさがることのない心の穴を埋めるかのように懸命に働いた。きちょうめんで気が強く、負けず嫌いで短気・・・ そんな父であるから、起立不能となってからも私が父を抱き上げ、車に乗せながら、六十二歳まで行商を続けた。

 父の介護は大変である。何かあると「洋子ヤーイ」と大声で呼ぶ。「ちょっと待ってよ」はまったく通じず、すぐに父の所へ行くのである。介護とは身も心も疲れるものである。「父ちゃんのせいで私が苦労する、父ちゃんのバカ」などと言って怒って、罪のない父を責めてしまったこともある。その度、自分の情けなさに力を落とすのであった。しかし、そんな状態から私を救ってくれたものがある。それは一枚の絵である。その絵が、父に対する私の気持ちを変えた。ある時、お寺でお経をきいていて、ふと壁に目をやると、父の描いた絵が飾ってあった。不自由な体で何か月もかけ、やっと描きあげた絵だった。このような所に飾っていただき、もったいないと頭が下がった。静かにお経の流れる中、私は何かを感じた。自分の気持ちが恥ずかしくなった。介護は父のためだと思ってきたが、それだけではないことに気づいた。「これは自分に与えられた使命で、自分が生きていくための大切なひとつの行為である」。すると、なぜか肩の荷が下りて、気持ちがスーっと楽になった。そして、父の介護ができることは、幸せだと思えるようになった。「父ちゃん今まで本当にごめんね。もっともっと大切にするからね」。私は父に心から優しくし、最期まで父らしく暮らせるよう介護しようと決めた。

 しかし、すべて自宅での介護では疲れてしまうため、週二回のデイサービスを利用し、入浴サービスなどを受けている。その日はいつもより若い服装でおしゃれをして行く。父のいない間が私の時間である。昼寝で寝不足の解消をし、買い物に出かける。また、近くの山に行き、自然の力をもらってくる。短い時間だが、一息つけてうれしい。

 父の世話は、食事や移動時の介助、床ずれの管理、点眼、オムツ交換、糖尿病の血糖測定や栄養管理など、たくさんある。

 介護で大変なのは夜間である。左股関節に骨折があり、痛みも伴い、寝返りがうてない上、床ずれもあり、二、三時間おきに体位交換をしている。以前自力で動けるよう考えたのが、新聞紙である。新聞紙を広げて粘着テープで縁取りし、裏に滑り止めマットをはり付けた。これをお尻に敷くと、体が滑って動きやすくなる。これでずいぶん助かった。

 昼間は股関節の負担を軽くするよう、座いすに腰掛けて休む。廊下の移動は、私の夫が作ったスノーボードにキャスターを付けたような、座って足で進む四輪車に乗り、ゆっくり動く。しゃがんだ状態なので、排尿は平オムツを床に敷いて行う。ズボンの穴も排尿しやすいよう下に開け、ファスナーをはって工夫した。食事は体が安定する円座に座り、テーブルには滑り止めを敷き、両手でスプーンをつかみ、テーブルに体をもたれて食べている。また、父は風景画を描くのが趣味で、左手で右手を支えて筆を持ち、苦労しながら何枚も描いてきた。私はその準備や、絵の具の色を見てチューブから出すなどして完成させている。今は視力と体力が衰えているため、描きたい気持ちはあるが難しい状態である。外出が好きで、北海道などに一緒に旅行に行ったが、最近は体力が減退し遠出は無理なので、車で今まで行商に歩いた所を見て回り、懐かしんでいる。

 このように、日々の介護は気遣いと苦労と模索、工夫の繰り返しである。しかし、根底にあるのは、いくら手をかけても元に戻ることのない父が生きることをつらく感じることがないように、そして寿命いっぱい生きてほしいと願う気持ちである。私は、身体障害者と思わせない生き方をしている父を、誇りに思っている。「父ちゃん、私は父ちゃんが好きだよ。父ちゃんの娘でよかった。これからもずっと一緒に暮らしていこうね。そして大声で"洋子!ヤーイ"って呼んでね」


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