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<入選>
「ハートフルマインド 現代版あかひげ先生」
立脇 一美(43) 滋賀県大津市・大学院生

 お盆過ぎの暑い日、現代版あかひげ先生にみとられ、祖父は天国に旅立った。「死」という悲壮感はなく、医師への感謝の気持ちと、ある種のさわやかさが全身を包んでいた。

 祖父は心臓手術を受け、寝たきりの状態で病院を退院してきた。その日から祖母を中心とした家族総出の在宅介護が始まった。あかひげ先生と初めて会ったのは祖父が亡くなる半年前であり、往診のお願いをした当日に、早速診に来て下さった。先生の風貌の、特におしゃれなあごひげが私たちの中の想像のあかひげ先生と似通っており、私たちはその医師を「あかひげ先生」と呼ぶことにした。先生の診察は、三分間診療に慣らされている私にとって衝撃であり、患者を診るということはこういうことなのかと、私は初めて医療の原点を垣間見た思いであった。患者の身体から発散されるメッセージをすべて読み取るという姿勢であり、先生は祖父の身体と会話を交わしているように見えた。言葉も必ず本人に向けられ、呼称も「おじいちゃん」ではなく名字であった。「私でよろしければ、今後診させていただけますか」―これが大ベテランの熟年医師と私たちの在宅介護の幕開けとなった。

 祖父は昔かたぎの頑固者で、なかなか先生を受け入れようとはしなかった。しかし先生は、医師である以前に同じ対等な人間として祖父に対応され、気さくに一日二回は自宅の裏木戸から「こんにちは。今日はどうですか」と顔を出された。当初祖父も気難しい顔をしていたが、いつの間にか先生の来訪を待つ生活に変わっていった。数分の訪問が、祖父の生きがいへと結びついていった。夜眠れないと訴えると、睡眠薬を処方する前に、夜の外来診が終わると実際の様子を見に来て、祖父の訴えに耳を傾けられた。食欲の落ちてきた祖父に、「一口でも食べなあかん」と言ってスプーンで口までおかゆを運ばれた。わずか数秒の食事支援であるが、医師に直接食べさせてもらっているという感触に、祖父は本当にうれしそうであった。便失禁があり、悪戦苦闘しているところへ偶然顔を出され、慣れない手つきながらも交換を手伝って下さったこともあった。祖父の状態を必ず自分の目で確認し、家族からも情報収集し、日々投薬内容や量を微妙に調整し、点滴も血管の浮いていない祖父の腕を十分に温めてから針を刺すというように、すべてが心づくしの対応であった。

 それは医師としての当然の行為であるのかもしれないが、その「当然」がそうでない現代社会において、先生の気持ちは私の心に響いた。在宅医療を受けている者が医師に望む事は、最新の医療技術を駆使して可能な限りの延命処置を受けることではない。患者や家族は医療に関するアドバイスを、自分たちと同じ視線に立ってタイムリーに、適切かつ柔軟に指導してくれる医師を望んでいるのである。祖父や私たちは延命ではなく、いかに安楽な状態を維持するかという視点に対する協力者を望んでいた。私たちは介護保険の趣旨とは異なり、他職種の専門家を大勢求めるのではなく、医療の最大なる専門家である医師一人による祖父のトータル的なケアを選択した。先生の手抜きなしの治療内容や手間を惜しまない姿勢に、「気に掛けていただいている」という思いが私たちの胸を熱くし、今から思えば、今にも崩れそうになる祖父や私たちの気持ちを、ただ支えてほしかっただけなのかもしれない。

 祖父の状態が徐々に悪くなり、「わしのような穀つぶしは生きていても仕方ない。皆のお荷物でしかない。はよ殺しておくれやす」と先生に対してだけ弱音を吐くようになった。「私は毎日、立脇さんの安楽そうで元気な姿を見ることが日課であり、それが最大の喜びなのですよ」と、決して「頑張れ」とは言わない優しい心遣いが、そこにはあった。

 祖父の容体が急変したのは、それからすぐ後のことであった。先生は診察後、祖父の両指を合掌の形に組まれ、何も言わず連日の介護でぼろきれのようになった祖母の肩を強く抱きしめられた。静寂の中、祖母は「ありがとうこざいます」とうわ言のようにつぶやき、いつまでも先生の腕の中で声を押し殺していた。祖母はあかひげ先生に対し、きっと私たち家族以上の「同志」や「運命共同体」のようなものを感じていたのかもしれない。

 「医は仁術である」―その言葉の重みを、私は今強く体感している。医療を求める者は、「医療技術」や「知識」と共に「医療従事者の心」を強く求めている。自分の味方である医療のアドバイザーや、共感的に自分自身を理解してくれる人を本能的に追い求めている。「心」を伴わない現場に、医療は存在しない。在宅医療を重視する社会で、医師も今パラダイムの転換を図る時期に立たされている。現代医療とあかひげ先生に心から感謝すると同時に、遠い昔に置き忘れてきた温かい心の医療をもう一度模索し、拾い集め、今後の医療の要となることを、私は心から期待したい。


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