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<入選>
「『聞く』という看護」
岡 克美(45) 神奈川県川崎市・会社員

 規則を破ってばかりいる札付きの入院患者でした。恐らくK病院では、あの病棟開闢以来の悪で、今でも、私の名はブラックリストに載っているかもしれません。

 なにしろ、消灯時間は守らない。病室で隠れて酒を飲む。同年代の患者を連れて散歩に出掛けると称し、酒を飲んで帰ってくる。整形外科病棟に行っては若い女の子をナンパする。病棟が寝静まってからこっそりと抜け出し、ナースセンターの前の廊下に腰を下ろし、かすかにもれる明かりを頼りに本を読む。おまけに、これ見よがしにたばこを吸い始めるものだから、仕方なく灰皿まで用意しなければならない。

 極めつけは、入院中に新宿へ酒を飲みに行き、駅の階段を踏み外し、けがをしたことでしょう。翌日、病棟で腫れた腕を診断してもらうと、骨折しているではありませんか。手術を受けることになった私は、たかが右ひじの骨折なのに、推奨された部分麻酔を拒否して全身麻酔をかけてもらいました。そして、産毛を剃毛してくれる看護師は他にいたのに、私はNさんを指名したのです。Nさんは私の担当だった看護師さんです。

 当日非番だった彼女は、私の要請を快く受け入れ、出勤して剃毛してくれたばかりでなく、妻と一緒にストレッチャーに寄り添い、手術室まで見送ってくれました。手術後部屋に戻った私は、麻酔が切れた後の痛みを訴え、Nさんの名前を連呼しました。もっともこの件については、はっきりとした記憶がありません。

 そう言えば、妻が一度こんなことを私に申しました。「看護師さんの間では、あなたとNさんが『いい関係』じゃないか、ってもっぱらのうわさになってるんだよ」。私は妻の言葉を一笑して退けましたが、うわさにたがわずNさんに対して恋心を抱いていたのかもしれません。

 私が病院側に我ままな要求を突きつけたり、無理難題を押し付けたりすると、必ず対応してくれたのがNさんでした。頭ごなしに否定するということはなく、彼女はいつも私の話を真剣に、そして最後まで聞いてくれました。もちろん、言下に却下されたこともありましたが、常に私を見守ってくれていたことは確かです。

 実を申すと、当時の私は精神的な病に悩んでいたために入院しており、病棟はそういう方々の病棟だったのです。昼間なのにベッドから出ないで横になっているうつ病の中年男性、大量に食べてはすぐ吐いてしまう拒食症の若い女性、洗面台で手や腕をいつまでも洗い続けている潔癖症の子供。ですから、たとえ私の担当であったとしても、私一人に構っている訳にはいかなかったはずです。しかも、いまだかつて経験したことがない、思いもつかない要求をする、どうしようもない私でしたから。

 どうしてそこまで親身になってくれたのでしょうか? 病棟のリーダー的存在だった私を信じていてくれたのでしょうか。悪、とは言っても根っからの悪ではない、むちゃはしない、私を押さえておけば他の患者への押さえも利く、という判断からだったのでしょうか。

 Nさんに聞けるものなら聞きたい。当時、主任さんや婦長さんから相当絞られたのではありませんか? 我々、患者の盾になってくれていたのではありませんか? どうやって上司を説得したのですか? 確か後輩が先に主任に昇進したと聞きましたが、私のせいだったのではありませんか? そして、どうしてあれほどまで私たち、患者に優しく接しられたのですか?

 こう考えると、いくら若気の至りとはいえ、入院患者という立場を利用して、彼女に迷惑を掛けたことが悔やんでも悔やみきれません。

 Nさんの優しい看護のお陰をもって、私は病、今で言う「パニック症候群」を完全に克服できました。そして退院後、無事に社会復帰を果たし、会社役員まで拝命しました。

 本当にありがとう。

 当然、私にも主治医はいました。でも、完治できたのは看護師さんたちの優しい思いやり、そしてほかならない聞き上手のNさんが私の担当だったお陰だと思います。そんな私はとても幸運でした。感謝の思いで一杯です。

 私が退院してから、もう十年以上がたとうとしています。彼女は結婚し病院を辞め、二児をもうけ、幸せな結婚生活を送っていると聞いています。

 当時の私のように苦しんでいる人は今なおいるはずです。いえ、目にも止まらぬ速さで動いていく現代社会では、当時とは比べ物にならないくらい個人の感じるストレスが大きくなっているはずで、患者の数もけた違いに増えていることでしょう。

 精神的病の治療は、医者の診察・投薬だけではなく、看護師さんたちとの信頼関係、それと患者の周りにいる家族の協力が不可欠です。病に対する偏見をなくし、社会がきちんと理解を深め、弱者も安心して暮らせるように、環境がより一層整備されることを心から望みます。


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