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<入選>
「愛のトライアングル」
浅野 美代子(65) 大阪府堺市・主婦

 カルテや専門書が山積みにされた机を前に、若いK医師はおもむろに口を開いた。

 「あんた、見たとこまだ若いし、もうちょっと生きてもらわんならんから、手術しようか、足切るんやで・・・」「先生、足切るて・・・どこ切るんですか?」と尋ねながら大層なこと冗談言うてはるわと一瞬思った。二か月ほど前から左足のかかとの部分が丸く茶色になってきたので、近所の開業医に診てもらったが、いっこうに治る気配がない。大したことないのやろうと思っていた。

 「なぜもっと早く治療に来なかったんや。手遅れかも知れんで。僕の言う通りにして! そうでなかったら一年も命は無いで。十五日入院、二十五日手術、わかったね!!・・・」。ドスンドスンと心臓に突き刺さる言葉、その後私を諭すように「切るんやで、ええな! 切るんやで」を繰り返した。(もうちょっと生きてもらわななんて言わはるのは本当に切らなあかんのや、私の身体に大変な異常が起きている・・・。夫も子供たちもまだ私を必要としている現在(いま)迷っている場合か? 死ぬ時やない。足を切るいうてもちょっとメスを入れる事ではないのだ、足が無くなるという事だ)。頭がまっ白になった。

 「先生・・・ わかりました・・・ でも家族になんて説明してよいか・・・」「ご主人には僕からお話ししましょう・・・」。切断しても普通の生活ができること、小走りぐらいできるようになること、詳細な説明は思いやりと熱がこもっていて私を安心させてくれた。

 長年の勤めからしりぞき、老後は夫の会社を手伝いながら二人でいろんな所へ遊びに行きたいと思っていたのに、世の中うまく運ばんなあーええやないか、でもこの難関はどんな事があっても乗り越えねば・・・。とりあえず二、三か月ぐらいの入院費用等は生命保険を利用させてもらおう。何かと出費が多くなるけど病床で入院費用を心配するほど、情けないものはない。そんな事は絶対したくない・・・。あれもこれも家を留守にする準備等、頭の中はレスリング場になった。手術当日を前にK医師は整形外科医、内科医、麻酔科医等の協力を得て、準備に奔走した。その中の一人O先生はメガネの奥にいつも笑みをたたえ、「Aさん、大丈夫やで、K先生は腕抜群やし、やり手やから・・・ 僕もがんばらしてもらうわ・・・」と私の気持ちを察してか、静かにほほえんでくれた。

 手術当日の朝、病室の窓辺にハトが二羽舞い降りた。午後から五体満足が確実に不満足になる、切られる左足を何回も何回もさすってみた。泣くに泣かれないのに大粒の涙がほおをつたった。二羽のハトは私を慰めに来てくれたのだろうか、クルクルとのどを鳴らした。六時間をかけた手術は成功した。病名は"悪性皮膚腫瘍" がんである。

 麻酔からさめた時、「Aさん、気分はどうですか? しんどいとこありませんか。担当のMです。これから何でもおっしゃって下さいネ」。にこやかにわたしをのぞき込んでナースはささやいた。K先生、O先生、Mナース共にこの日から六回の入退院に携わり、すみやかにかつ正確、最高の医療をほどこしてくれた面々である。

 計画通りの治療は化学療法で、もっぱら点滴をしてそのあい間にリハビリと血液検査である。リハビリ室にはなんとも慰めようのない、私より重度の患者さんが身体からほとばしる痛さをはき出しながら、懸命に努力していた。私もMナースの付き添いで重い砂袋を太ももに乗せ上下する型(パターン)を教えてもらった。朝夕必ず一回は「どうや・・・気分は最高でっか?」とK先生がたった三分ほどの会話のために病室を訪ねてくれるのは、何にもまして不安を取り除き、元気をくれるもとであった。

 左下肢が無いという初めての経験に、脳も身体も戸惑いをみせてバランスが悪いし、廊下での歩行練習、松葉づえの使い方、装具のつけ方、階段の上り下り等々、次から次と私を責め立てる。装具が合わなくて皮膚を食いちぎるような痛み、いつ倒れるかわからぬ一歩一歩の踏み出し、恐怖のあまり全神経が悲鳴を上げた。そんな月日を重ねて「今日はちょっとだけ外の空気を吸ってみましょう」とMナースが誘ってくれた。「千利休の跡地まで行きましょうか・・・」「行けますかね」「すぐそこだから、ゆっくりネ」。何か月ぶりかの青空を見ながら電線に羽をやすめている小鳥に目をやった途端、私の身体は前に激しくのめった。その瞬間Mさんが覆いかぶさるように全身で受け止めた。「あー!!よかった! 大丈夫大丈夫」。ポロポロと涙が出た。ごめんネごめんネとMさんも泣いている。私より年下のナースが私のために泣いてくれる。こんな事今までに経験しただろうか・・・。お互いに涙して人は一つも二つも成長していくのだろう。

 医師、ナース、患者、このトライアングルは涙、笑顔、思いやりがあって通じ合うのだ。それはすべて"愛あればこそ"・・・。K医師は昨年病院を退職し開業した。「先生辞めはったら私どないしたらいいんですか?」「そやな・・・あんたが死ぬまで面倒みよか・・・」なんて言われて私は現在も一患者なのである。


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