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<優秀賞>
「大好きだったおじいちゃん」
鈴木 智実(11) 茨城県龍ヶ崎市・小学5年生

 私の家のすぐそばに、おじいちゃんと、おばあちゃんの家があります。いつも遊びに行っています。二人共とっても元気です。特におじいちゃんは、運動のためにと、いつも歩いて買い物に行っています。みんなにえんぴつを買ってくれたりします。やさしいおじいちゃんです。

 でも私には、もう一人おじいちゃんがいました。何回かしか会えないうちに死んでしまったけど、東京おじいちゃんのことは、今もよく覚えています。

 ある日とつ然、「もう一人おじいちゃんがいるのよ」と聞いた時は、とてもびっくりしました。そんなことはぜんぜん知りませんでした。なぜ知らなかったかと言うと、母が高校生の時りこんして、別れて住むことになって、それからあまり会っていなかったからです。もう一人のおじいちゃんてどんな人だろう。いろいろ想像しました。その後やっぱり会いたくなりました。

 はじめて会った時は、背が高くて礼儀正しい人みたい。これがママのお父さんなのかー。確かにママとよくにているなーと思いました。私たちに会えておじいちゃんはうれしそうでした。いつも人見知りで、よその人にだっこされると泣く弟も泣きませんでした。みんなで「ふしぎだねー」と言いました。おじいちゃんは涙ぐんでいました。

 それからすぐ、おじいちゃんが入院したと、母が言いました。私は「おじいちゃんなんで入院したの?」と聞きました。私は、おじいちゃんに初めて会った時とても元気だったので、2、3日入院すれば元気になるのだろう。そう思い、聞いてみました。すると母は、「おじいちゃんはもう助からないかもしれない」と泣きながら言いました。私はそれを聞いて信じられませんでした。

 次の日、みんなでお見舞いに行きました。

 おじいちゃんはベッドで起き上がって、看護師さんと楽しそうに話していました。私はびっくりしました。死んでしまうかも知れないというと車いすだったり、ねたきりというイメージがあったからです。

 おじいちゃんは脳にしゅようがあって、このままだと半年の命、手術はとてもむずかしいという重い病気でした。でもおじいちゃんは、手術を受ける事になりました。

 私は思いきって、おじいちゃんに「手術こわい?」と聞きました。こんなこと聞いて悪かったかなーとドキドキしていると、おじいちゃんは、やさしい声で「みんながいればこわくないよ。それに先生がいい人で手術の説明をしてくれたから大丈夫だよ」と言いました。その言葉を聞いて、手術を受けるのは私ではないけど、とてもこわくて仕方なかった気持ちが、反対にはげまされました。おじいちゃんは先生を信じて、安心して全部まかせてるんだなーと思いました。

 手術の日、私は一日中ずっと願っていました。手術は次の日までかかりました。母が帰って来ました。でも手術のことはなにもわからないと言うばかりでした。私は心配でたまりませんでした。朝になって、母の弟から電話がかかってきて「おじいちゃんが死にそうだ」と聞きました。あわてて病院にいくと、おじいちゃんは目もあけずにねているようでした。担当の先生は必死で人工呼吸をしていました。でもおじいちゃんは目をあけませんでした。もうみんなが死んだとわかっていても、先生は何回も何回もやってくれました。その様子をみんな泣きながら見ていました。どのくらいたったかわからないくらいでした。東京おばあちゃんが「もうわかっていますので・・・」と言いました。先生が人工呼吸をやめるとピーと機械が鳴り、おじいちゃんは死んでしまいました。とても悲しかったです。母も父も兄も私も妹もみんな泣きました。みんなみんな泣きました。先生も看護師さんも泣きました。しり合いでもないのに、先生や看護師さんが泣いてくれたとき、私はおじいちゃんはいい先生に会えてよかったと思いました。

 おじいちゃんはいってしまいました。でもその顔はとてもおだやかでした。今にも「おはよう」と言って起きてくるような安らかな笑顔でした。

 私はおじいちゃんはいい病院、いい先生に会えて、くいはなかったと思いました。今でも病院の方々には私もとても感謝しています。

 将来私も、あの時の先生のように、困っている人をはげましたり、苦しんでいる人を助けたり、精一杯人につくせるような人になりたいです。


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