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<日本医師会賞>
「T先生の往診治療」
池田 力太(54歳) 山口県玖珂町・無職

 母は昔から気丈で、医者嫌いでもあり、日ごろから、「医者と坊主に用はない」などと言っていた。ところが五年前の七月、熱を出して寝込んだ。本人も私たち家族も初めは夏風邪だと思っていたが、寝込むのは珍しいので、念のために診ていただくことにした。が、既に九十を超していた母は、近くで開業医をしておられた女医のT先生の病院に行くことすら嫌がった。それで先生にお話ししたところ、往診してくださるとのことだった。誰にでも歯に衣(きぬ)着せずものをおっしゃる先生で、評判もよかったが、八十歳に近く、足も少しご不自由だったので、往診は大変だろうと思った。

 「夏風邪といっても馬鹿にはできませんよ。それに昔からの病気もよくないし、これはひょっとしたら長引きますよ」と往診に来られた先生は母におっしゃった。実は母は昔から肝臓が悪く、先生はそれを表向きの理由に、治療が長引くことを母に納得させたのだった。そして、いい病院を紹介しましょうともおっしゃたが、先生のせっかくの申し出を母は断った。それで先生も、「じゃあ私の都合がつく限り、できるだけ往診してあげましょう」と言ってくださった。帰られるとき先生は兄と私を隅に呼んで、診察結果を話された。どうも胃がんらしいと。そして、高齢ゆえに手術はできず、もしかしたら今年いっぱいかもしれない、とも。兄も私も、先生のその言葉が信じられず、ひたすら先生の誤診を願った。私たちの家系では過去にがんを患った者はおらず、がんにはならないと思い込んでいたし、熱を出して寝込んだとはいえ、まだまだ元気で、とても今年いっぱいとは思えなかった。ただ私は、その日は極力母の顔を見ないようにしていた。

 寝起きしやすいよう母のベッドの側面に手すりを付け、その手すりに棒を取り付け、点滴ができるようにした。先生は毎日夕刻には必ず来てくださった。先生がいらっしゃると、母は元気になった。脈や熱や血圧だけでなく、触診もされ、時には採血もしておられた。点滴がいつも最後だった。既に病院を閉めて来ておられたので、大抵のときは点滴の間中、母の傍で昔話などをして元気付けてくださった。「こんなことがあったのを覚えておいでです?」「そういえばそんなこともありましたね―」などと言って二人うち興じているのを近くで眺めていると、私たちもついうれしくなった。時には私たちも加わり世間話などもした。話し好きの母には、先生とのこうしたひと時の方が点滴よりも効き目があったようだ。

 先生は休診日などには、午前中と夕刻と二度来られることもあった。私生活でも大変ご多忙な先生ゆえに、ご都合の悪い日もあっただろうにとも思うのだが、毎日一度は必ず患者の顔を見に来られた。

 そんな毎日を繰り返して夏が過ぎ、やがて秋が来た。母も、私たち同様がんにはならない家系という迷信めいたものを信じ込んでいたので、がんだとは思っていなかったようだが、忍び寄る不吉な影だけは予感し始めていたようだった。十一月の初め、偶然訪ねて来た遠縁の者に形見分けとも思われるものを渡していた。夏にはまだ先生の見立てが信じられないほどに元気だった母も、そのころからだんだんと弱ってきた。そして、毎日の往診にもかかわらず、その月の下旬には時々痛みを訴え始め、月末には意識も薄れていった。日々変わりゆく母に、先生はいつも落ち着いて、的確に対処しておられた。しかし、結局私たちの願い叶わず、先生の見立て通り、十二月一日に母は逝った。母には最後までがんであることを知らせなかった。それは母本人がかねてから望んでいたことであった。

 七月からの約五か月間、T先生は毎日往診して治療をしてくださった。それは近代的な機器を備えた病院での最先端の治療ではなかった。が、その往診のお陰でほとんど苦しむこともなく母は逝くことができた。最後まで本人の希望通り入院もせず、しかも母が何よりも一番願っていた自宅からの旅立ちができた。

 入院して病院で死ぬことより、できれば自宅の畳の上で死にたいと願う人は母だけではなく、世間には多いようだ。医療設備など様々な問題があるのかもしれないが、母の場合のように医師の患者への接し方、考え方でそれが可能になることも結構あるだろう。延命治療などは当然のこととなり、ヒト遺伝子情報の解読、再生医学の展開、クローン人間の問題など、医療・生命科学の分野は日々著しい進歩を遂げてはいるが、T先生のようなお医者様が一人でも近くにおられるということも私たちには非常に心強いものなのである。

 医師としての技量のみならず、患者の性格や立場を理解して親身に接し、気軽に足しげく往診し、昔話や世間話などで患者を元気付ける。こうした一連の姿勢こそが、医療に携わる者にとっては大切だと思う。T先生にそれを見せていただいた。生涯忘れることのできない「医は仁術」の治療であった。


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