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<アメリカンファミリー介護賞>
「だしまき卵」
宮原 奈央(22歳) 福岡県福岡市・専門学生

 私は介護福祉士を目指している医療系の専門学校の学生です。入学して一年半、多くの高齢者や障害者の介護を通して、私は数えきれないほどたくさんの大切なことを教えていただきました。そのすべてが忘れられない思い出ですが、中でも、私の介護への姿勢を根底から変えてくれた出来事があります。私はこの出来事を一生忘れることはないでしょう。

 今から一年ほど前、私は初めての実習で特別養護老人ホームに行きました。この実習期間では、高齢者とのコミュニケーションが主な実習内容でしたが、私は「痴呆(ちほう)症の高齢者とのコミュニケーション」が苦手でした。痴呆症の高齢者は私とは違う存在であって、対等な一人の人間として接することができなかったのです。痴呆症の方たちは、施設の中をふらふらと歩き回ったり、失禁したり、急に泣き出したり、あるいは私をなぜか、「先生」と叫んで捜しまわったり、一度など、いきなり殴られたこともあります。私はそのような痴呆症の高齢者の「問題行動」に、なんらかの意味があるとは、一度として思ったことはありませんでした。けれど、ある方との出会いによって、高齢者、特に痴呆症の高齢者に対する私の考え方が大きく変わったのです。

 Yさんは、八十代の男性で、重度の痴呆症でした。ある日、施設の職員に、「Yさんは徘徊(はいかい)、不潔行為があるので、目を離さないように」と言われ、私はYさんのそばで、入所者のパンツのゴムの交換をしていました。その時、Yさんがぽつりぽつりと昔話をし始めたのです。実は、Yさんは昔、大阪の大きな料亭で料理長をしていた有名な料理人で、昭和天皇が大阪にいらした時に料理を担当したこともあったと、施設の職員から聞いていました。

 「君は食べ物は何が好きかね」とYさんが聞いたので、「そうですね、だしまき卵かな」と私が答えたとたん、Yさんの目が輝きました。そして、「そうか、それじゃだしまき卵を作ってやろう」と言い、だしまき卵の作り方を熱心に語りながら、そこにはない卵をかき混ぜ始めたのです。Yさんには、大きな料亭の厨房(ちゅうぼう)が見えていました。その時のYさんは、とても痴呆症には見えませんでした。テーブルの上にあったゴムパンツを私に投げ、「あんたもどんどん卵割って!」と、厳しい口調になり、過去の世界から「今の世界」に現れた多くの料理人たちにきびきびと指示を出しているYさんは威厳があり、大きく見えました。

 そして、その時、「卵が足りない!これを使おう」と言って、自分がしていたオムツをはずし始めたのです。私ははっと我に帰り、「Yさん!だめですよ!」と叫んでしまいました。その声に飛んで来た職員は「またか」というようなうんざりした表情で、「Yさん、また不潔行為して!」とYさんをしかりつけました。その瞬間、大きな料亭の活気のある厨房も、Yさんの指示に従う多くの料理人たちも、卵も、みんな過去に帰ってしまいました。

 力づくでトイレに引きずっていかれるYさんの後ろ姿は、小さく小さく見えました。Yさんのしたことは、「痴呆症特有の不潔行為」だと、きっと誰もが思ったでしょう。けれど、Yさんは、私のためにだしまき卵を作ってくれようとしただけなのです。その行為には意味があったのです。痴呆高齢者には「問題行動」と呼ばれるものがたくさんありますが、その行為のすべてに、意味があるんじゃないかと、私は考えるようになりました。

 私の尊兄するIさんという介護職員は、「痴呆高齢者の徘徊には、何か意味があるのではないか」と考え、夜間徘徊を繰り返す高齢者の布団で毎晩添い寝をすることにしたのです。すると、徘徊はぴたりとやみ、毎晩ぐっすり眠るようになったそうです。Iさんはこう言いました。「彼女は入所するまで、何十年ものあいだ、夫と一緒に寝ていたんですよ。きっと不安だったのでしょうね。いなくなった夫を捜して徘徊していたのかもしれません」。「徘徊」は、その方にとってきっと不安の表れだったのです。徘徊のほかにも暴力や失禁、すべての問題行動には必ず意味があり、それを介護者が理解しようとすることによって「問題行動」は「問題」ではなくなると、私は考えています。

 あの日、Yさんに出会い、私は「高齢者」は私と違う存在ではなく、多くの経験と様々な感情を持つ、私と同じ、一人のかけがえのない人間なのだと分かりました。Yさんに限らず、すべての高齢者には輝かしいドラマがあります。高齢者の介護をさせていただく時、いつも心の中で思うことがあります。

 「あなたの人生の物語の最終章に、私を迎え入れてくださってありがとう。本当にありがとう」


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