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<入選>
「生きる生命」
大澤 直美(43歳) 福岡県久留米市・主婦

 「残念ですが、脳死の状態にあります」。それが父の病状を告げる医師の言葉だった。

 小脳からの大量出血で脳幹を圧迫し、生命を維持する機能を果たしていないと言うのだ。「脳死、脳死・・・」頭の中をその言葉だけがグルグル回っていた。まさか?嘘でしょ? どうして?本当に?悪夢?脳みそがカァーッと熱くなって、誰かに胃袋をギューッと握りつぶされたような痛みに襲われた。

 救急車で運ばれて来てすぐ、父の心臓は一時停止した。だけど医師は、それをいとも簡単に蘇生させてみせた。

 しかし、生命維持装置を取り付けて、鼓動を打っているだけなのだ。意識不明ならまだしも脳死だなんて。生き返る方法が無いものなのか聞いてみた。医師は重い空気が流れる中ですまなそうに、そして、遠慮がちに答えた。「あとは臓器移植で生かすという方法しかありません。無理にとは言いませんが」。生命を救う医師としては、きっと、のどから手が出るほどほしい、脳死患者からの移植臓器だろうに。

 昔、あるニュース番組でキャスターが、「もしあなたの家族が脳死になった時、臓器を提供するか、しないか、話し合ったことがありますか?」とか言っていたのを思い出していた。あの時、テレビを見ていた父は確か、「お父さんならあげたいけどなあ」と言っていた。そうだ、臓器移植を申し出よう。家族会議をした。しかし、最後になって母が反対した。その上、あいにく父はドナーカードを持っていなかったのだ。断念せざるを得なかった。

 看護師さんたちは、「もう生き返らない父」を手厚く看護してくれた。歯みがきや洗顔、整髪をして、ひげまでそってくれた。腕や足をさすって声を掛けてくれた。

 あくる日、突然の連絡に親類の叔母がやって来て、何やら家族と話をしていた。ヒソヒソ話のはずが静かな病室では皆に聞こえていた。「だってもう死んでしまったんなら、お葬式の準備とかしないとねえ」。事実だったし仕方ないと思った。

 その時だった。今まで優しくにこやかだった男性の看護師さんが、突然声を荒らげるように口を開いた。「患者さんの前でそんな話しないで下さい。患者さんは今、一生懸命生きようと頑張ってるんですよ。それなのに家族の方がそんなことを言うなんて??。患者さんは家族の言葉聞こえてるんですよ」。それは怒りとも落胆とも懇願とも聞こえた。

 その夜、冷たく響く機械の音に眠れずにいた私は、深夜の見回りに来た彼に声をかけた。「大変ですね」「すいません、起こしちゃいましたか?」。手を休めることなく、あらゆる管や装置、状態をチェックしていた。深夜、少ない人数で多忙な時に、素人の陳腐な質問にも丁寧に答えてくれた。そして、彼は、こんなことを話してくれた。

 「僕、高校生の時に父を亡くしたんですよ。それでこの道を選んだんです。家族を亡くすのはつらいです。だからどんな形でもいいから生きててほしいって思うんですよ」。だから昼間あんな口調になってしまったと言うのだ。例えそれが脳死という状態であったとしても、患者には家族の言葉が聞こえているし、本人は生きようと頑張っていると信じてると。だから最後まであきらめないで看護すると。

 「生まれてくる命」「助かる命」、そして「消えゆく命」を日常という慣れの中で事務的にとおり過ごしているんだろうと思っていた。だけど今ここで、見ず知らずの父の命を、「頑張れ、頑張れ」と励ましてくれている。声をかけてあげたり、手を握ってあげたりするだけでもいいから、あきらめないでいてほしいと言う。この人たちはいつもこんな思いで患者と接しているのだろうか。頭が下がった。そしてその言葉がおまじないのようになって、父が生き返るような気さえした。彼の温かい心に涙があふれて止まらなかった。

 ひとしきり話をして気付くと、一時間近く過ぎていた。忙しい時間に引き止めてしまったことをわびると、「いいんですよ、話し相手になるのも仕事ですから」と笑顔で言い残し、仕事に戻って行った。

 数日後、父の生命維持装置は取り外され、無言の帰宅をした。あの日、いつものようにニコニコ出かけて行った父。人の世話が好きで、町内会の役員やボランティア、民生委員の仕事まで引き受けていた父。最後に人の役に立てなくて、さぞかし無念だったろうに。

 四十九日が過ぎたある日、私は、もらって来たドナーカードに自分の名前を記した。

 「私がもしもの時、最後くらいは世の中の誰かを助けてあげられますように」と心の中でつぶやきながら。


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