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一般の部
<入選>

「オレの部活はリハビリ」
前田秋代(57)熊本県熊本市・主婦


 平成三年九月、当時十四歳だった息子とK機能病院を訪ねた。術後の機能回復を目的としたリハビリの治療を受けるためだ。同年春、息子は脳腫瘍のため三度目の開頭手術を受け、その後遺症として運動機能と言語機能に障害が現われた。退院後の定期検診のおり、主治医の先生より紹介してもらった病院だった。

 体育館のように広いドームの中には、様々なリハビリ用の器具が備わっていた。各々の症状に合わせて、一人であるいは療法士の先生とマンツーマンで、何人もの人達が治療に励んでおられた。息子も私も初めて目にする光景で少し圧倒されていた。担当のK先生とN先生の第一印象は、実に明るくてさわやかだった。「ああ良かった。健一はこのどちらの先生にも必ず打ち解けていくだろう」と思った。元々明るくて人見知りのない性格の子だが、退院後、自分の想像をはるかに超えた後遺症への驚きと焦りとでかなり神経質になっていたからだ。私が「健ちゃん、やってみようよ」と言うと、彼は「うん」とうなずいた。その日から息子の苦しくも楽しいリハビリ生活が始まった。

 訓練は本当に「最初の一歩」から始まった。一年前、学校から帰るとすぐに自転車で友達の家に遊びに行っていた彼の姿は、私の残像からも消えた。N先生に支えられ、前方を見つめヨロヨロと、でも満身の力で一歩、また一歩と足を動かす目の前の息子の姿が現実だった。最初一、二回は「前田君」と呼ばれていたがすぐに「健ちゃん」になった。たぶん言いやすかったのだと思うが、いつの間にか誰もが「健ちゃん」と声をかけて下さり嬉しいことだった。何日目だったかN先生が「健ちゃん、汗と涙を拭くタオルが要るぞ」と言われ、翌日から小さなタオルをトレパンのポケットに常備した。

 K先生は作業訓練の方を担当された。時々声を出して笑っている彼に後で聞いても「男同士だけん」と言って教えてはくれなかった。ある日K先生に「アニキ」と言ったら「師匠と呼べと言われた」と言って、家に帰ると笑いころげていた。こんな息子を見るのは久しぶりだった。

 そのうち私は彼を送って受け付けを済ますといったん家に帰り、二時間くらい家の中の用事をしてまた迎えに行くことにした。それは母親にずっと見られているより一人の方が良いという彼の思いと、病院側の「だいじょうぶですよ」という言葉が、私に少し子離れをさせてくれたのだ。二人して病院の時間割に慣れてくると、息子は時々数学のドリルやノートを持参するようになった。リハビリの待ち時間や私が迎えに着くまでの時間を机に向かっていた。合間にK先生に見てもらい、時には「宿題がある」と喜んでいた。三十分そこらの時間、不自由な手で数学を何問解いてノートに書けたことか。でも大好きな時間だったようだ。ここでは気がねなく、自由に自分の声が出せて、動けて、素直に本来の自分でいられる所だったのだ。「頑張るねえ」とか「わかるか?」とか誰かが声をかけてくれる。そんなほんの些細なことの連続が、自分を取り戻していく中でどんなに力強い支えだったことか。親ではできない大切な大切なリハビリだった。

 夫は仕事が休みの日は私と交代してくれた。夫は時間中ずっと見学させてもらい、指先の訓練道具を覚えてきては日曜大工よろしくアレンジの道具を作った。中でもゲーム板はみんなで使えて楽しかった。これは後に息子の棺の中に思い出の品々と共に納めた。

 N先生は屋外を歩く訓練もされた。緊張もあったろうと思うが、汗びっしょりになって外からもどってくる姿に「希望を持っていいのかもしれない」と私は本気で思った。N先生は自分の車を見せて下さったそうだ。その日の帰り道、「車の中にファストフードのクーポン券があった。明日誰かに教えよう」と笑っていた。その日からN先生に「パパ」とあだ名をつけた。「独身者の車の内部はもっときれい、あれは子持ちだ」と判断したらしい。

 翌四月、復学したが午前中だけの登校で午後は毎日機能病院に通い続けた。本当に一日も休まず、雨の日も風の日も、台風の日にまで行った。「オレの部活だもん」と言っていた。病院から「リハビリは終了」と告げられた日まで部活を頑張った。師匠とパパの厳しくも温かい指導のもと、力強い周囲の皆さん方に支え守られ、世界一の部活を終了した。その後、再び大学病院に移った。御二人の先生は時間を作って見舞いに来て下さった。「健ちゃん、またもどってこいよ」と励まして下さったがかなうことはなかった。

 十三年が流れたが私達はK機能病院の師匠とパパに今も感謝の気持ちでいっぱいだ。あらためて療法士の仕事の偉大さを思う。

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