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一般の部
<日本医師会賞>
「手作りの入学式」
穴澤 良幸(40歳)千葉県松戸市・教員


 川の水面に散り始めた桜の花びらが浮かんでいる。柔らかな日差しの中、真新しいランドセルを背負った息子と手をつないで入学式に出席するはずだった。

 昨夏、楽しみにしていた幼稚園最後のお泊まり保育を明日に控えていた。ソファに横たわる息子をベッドに戻そうとした私は妻に向かってつぶやいた。

 「あれ? この子熱いよ」
 近寄ってきた妻が息子の額に手を当てる。
 「パパ、ぼく熱いよ。明日、お泊まりできないの?」
 「大丈夫。すぐ治るよ」

 体温計を脇の下から取り出した。数字をのぞきこむ。四十度。熱のためなのか、悲しさからなのか彼の目は涙で赤く潤んでいた。

 翌日、息子は近くの病院に入院した。三日ほどたっても熱が下がらない。原因がよくわからないため市内の総合病院に転院し、そこで私たちは息子の病名を聞くことになる。医師がためらいがちに病名を口にした。

 窓の外でしきりに鳴いていたセミの声がやんだ。ふいてもふいても手のひらから汗が噴き出てくる。うそ? どうして? なぜ私たちの息子が? 頭の中は疑問符でパンクしそうだった。医師が続けて言う。

 「うちの病院でも治す努力はしますが、東京のS病院なら最新の治療が受けられます。紹介しますがどうします?」
 迷うはずがなかった。こうして二男は川の見えるS病院に再度転院した。私たちの約十か月にわたる闘病生活が始まった。

 息子の病状の変化に一喜一憂する日々が続いた。建設中の高速道路がいつ全面開通するかわからないように、退院という光は私たちには見えてこなかった。できるなら代わりたい、それがかなわないなら何もかも投げ出して一緒にいてやりたい。子が病気になった時、親であるならそう思う。ましてや、始終付き添っている母親ならなおさらその思いは強い。

 早起きが得意でない妻は一刻でも早く会いたい一心で慣れない満員電車に乗って、二男のもとへと急ぐ。二十二時近く、酔客に交じり、疲れた表情の妻を駅まで迎えに行く。そんな生活の繰り返しだった。緊張と苦悩のスパイラルで妻の口数は少なくなっていた。私は彼女の気持ちを軽くしてやれなかった。仕事のせいにしていたのかもしれない。いや、ありていに言えば、きゃしゃな体ですべてを背負いこもうとする彼女に対し、どのように接していいのかわからなかった。

 「K駅を出ます。二十分後に着きます」
 妻からのメールがいつもより遅い。
 「遅かったね。何かあった?」
 車に乗り込む彼女に声をかけた。
 「看護師さんと話をしていたの」
 表情が和らいでいた。妻の気持ちに寄り添ってくれたのは保育士のOさんであり、看護師の皆さんだった。処置室から聞こえてくる「痛い」と泣き叫ぶ息子の声に妻はどんなにか胸を痛めただろう。廊下で待つ彼女の肩に手をおき、励ましてくれたスタッフの皆さんの存在は文字通り、天使に違いなかった。

 桜の開花のニュースがテレビから流れている。黄色のスプリングコートのベルトを締めながら妻が破顔した。

 「病棟で入学式をやってくれるって!」
 小学校の入学式に出席できなかった息子のために、病棟のスタッフの方々が企画してくれるというのだ。

 ビデオは見慣れたプレールームを映していた。マスクをして、頭にバンダナを巻き、ランドセル姿の息子がいた。『一年生になったら』が聞こえてくる。弾いているのは「順調だねぇ」が口癖のM先生。保育士のOさん、看護師の皆さん、先生方、そして息子と同じように難病を抱えているにもかかわらず遅くまで飾りつけをしてくれた小児病棟のお友達、みんなが声をそろえてにこやかに歌っている。

 「パパ、泣いちゃうよ」
 妻が予言した通り、涙腺がゆるい私はバスタオルを頭からかぶっていた。

 ひげがよく似合うH先生が手作りの入学許可書を読み上げる。
 「『君がT小学校へ入学してくることをみんな待っています』と校長先生から先生に昨日、電話がありました」
 会場から笑いが起こる。あいさつを促されるが、息子はうまく話せず、妻は困惑顔だ。

 「この先は見ちゃだめ」
 妻がリモコンの早送りボタンを押す。

 道路のあちらこちらにタンポポが黄色い花を咲かせている。息子は退院した。幼い息子の中からつらかった治療の記憶は失われていくかもしれない。でも多くの人の支えがあったことを決して忘れさせない。子ども部屋にはあの日、プライマリーナースのIさんからいただいた「入学おめでとう」と書かれた寄せ書きが壁にかかっている。

プレールーム=子供が遊ぶための遊戯室


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