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一般の部
<アフラック賞>
「一生懸命」
桑原 美幸(39歳)札幌市・主婦


 「おれ、初期の食道がんなんだと」

 父ががん宣告を受けたのは、私の結婚が決まって家族が幸せをかみ締めていたころだった。

 本人に直接告知するということは、病院側には必ず治す自信があるのだろう。実際、病院を訪れてみると、外来には父と同じ六十歳前後の食道がんの患者が大勢いた。百聞は一見にしかず、である。早期に手術を受け、社会復帰を果たした多くの患者が勇気を与えてくれるように思えた。

 「目標があることで患者の気力が違ってきます。お父さんはまだ若いし体力もあるし、大丈夫ですよ。式には絶対出られますから」

 挙式を延期しようか悩んでいたが、若い主治医の力強い声に励まされ、手術の日程は挙式に間に合うように進められた。

 手術は成功した。父は、主治医の宣言通り、目標であった結婚式に参列することができた。

 「良かった、本当に良かったね!」

 えんび服姿の父の写真を見せると、主治医はうれし涙をこぼさんばかりに喜んでくれた。

 退院し、自宅療養をしていた父が病院に戻ったのは、挙式から約一か月後だった。肝臓にがんが転移したことがわかった時、父の心臓が次の手術には耐えられないことを知らされた。

 目指せ、結婚式! と重圧をかけ過ぎたせいで心臓が極端に弱ったのでは、と主治医はがっくりと頭を垂れた。仮にそうだとしても、式の出席は父も私たちも心から望んだことだ。そして望みは立派にかなえられたではないか。

 がんの進行を遅らせる治療が徹底的に施されることになった。それしかなかった。

 日増しにやせて顔色が悪くなる父は、頻繁に足が痛いと訴え、しかもいったん言い出すと一時間マッサージを続けても治まらず、「もっと力を入れてもんでくれ」と文句を言い続けた。父もつらいのだろうが、毎日しかられるために見舞いに来ているような感じがして、私もとてもつらかった。

 そんな時に、私と一緒にマッサージをしてくれたのが看護師Nさんだった。手がしびれて私が降参した後も、額に玉のような汗を浮かべて、一生懸命父の足をもんでくれた。目で謝る私にチャーミングなウインクを返した。

 「幻聴や錯覚が起こることもあるのよ」

 Nさんは、何も言わずとも私の気持ちを察してくれて、父が末期がんにおけるせん妄状態にあることをわかりやすく説明してくれた。暑いと駄々をこねる父にうちわで優しく風を送りながら、放射線治療やサクションをかなり負担に思っていることも併せて教えてくれた。

 私は何も気づいていなかった。毎日父のそばにいて、何を見てきたのだろう。父の抱える苦痛や恐怖を思いやるどころか、父の暴言や虚言(これもせん妄によるもの)で自分が傷つき悲しいということしか考えてなかった。今まで「またか」とおざなりにしてきた父の足を、一生懸命さすった。Nさんは私の肩にポンと手を置いて、にっこりとほほ笑んだ。ジワリと涙があふれそうな温かく優しい手だった。

 Nさんが父に声かけをする際、必ず体のどこかに手を触れていることに気がついた。看護の「看」という文字の語源が「手を当てて見る」であったことを改めて思い出した。Nさんをまねて、嫌いな放射線治療から父が戻って来た時は手を触れて話しかけるようにしてみた。すると少し父が落ち着くように思えた。

 一か月後、父の容体が急変した。

 Nさんの顔からいつもの笑顔が消えた。主治医のどなり声に近い指示が飛び交い、病室には緊張の糸が張りつめた。

 危篤の知らせを受けた親せきが次々集まってきた。騒然とする病室ではスタッフが出入りするのも一苦労だった。Nさんは「ご家族以外はロビーにいったんお引き取り下さい」と、きぜんとした態度で一時的に人払いをした。

 体位交換の後、血痰を吸引しようとサクションを向けると、父は最後の力を振り絞るように手で宙をかき、出ない声で「やめろ」と言った。「コレ嫌いだったもんね。もう嫌なことはしないわ」とNさんは父を見つめ、サクションを引っ込めた。

 父はまもなく目を落とした。臨終の時刻を確認した後、主治医は「くそっ!」と壁をたたいて出ていった。もしかすると再入院の時から、自分を責め続けていたのだろうか。Nさんは鼻をすすって泣いた。

 医療従事者たる者、患者側に対して平静を保たねばならないと聞いたこともある。感情をあらわにする医師も、泣きじゃくる看護師も、お目にかかったことがない。二人ともまだ若く、未熟だと言えばそうなのかもしれない。だが、ベテランにありがちなツンケンした態度とは正反対の、一生懸命な姿が大好きだった。父の死を無念がり、悲しんでくれる素直な感情が私にはうれしかった。

 父が亡くなって十四年が過ぎた今も、最後は「患者として扱う」のではなく「人として」一生懸命に向き合ってくれた二人に感謝している。

せん妄=意識が混だくすること。


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