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一般の部
<入選>
「先生の言葉」
森 民生(60歳)埼玉県三郷市・自営業


 もう二十年も昔のことである。私たち夫婦には、二歳違いで三人の子供がいた。三人とも男の子で、誕生日も近かった。幸いにも上の二人はとても元気で、予防接種以外ではお医者さんのお世話になることはあまりなかった。しかし、三番目の子供は生まれた時から身体が弱く、小児科はもちろん、皮膚科、耳鼻科、そして眼科へと通った。

 皮膚にはいつも腫れ物や湿しん、じんましん等の皮膚炎を起こしていた。いわゆるアトピー性皮膚炎である。そして気管支が弱く、常にぜんそくの発作を起こしていた。

 親である私たち夫婦の『肉体的な弱点をすべて受け継いで生まれてきた』、そう思うと本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。上の子供たちが元気だっただけに、何とも言えない気持ちにさいなまれていた。

 十月に二番目の子が三歳の誕生日を迎え、十一月に上の子と下の子が五歳と一歳の誕生日を迎えた。下の子にとっては、初めて迎えた誕生日である。まだ首も定まらない乳児を抱えて、何回小児科や皮膚科を訪れたことだろう。この時の誕生日ほど、感慨深い思いをしたことはない。そして、正月、いつも家族で親せきを訪れるのだが、寒空に一歳になったばかりの下の子を連れて行く勇気はなかった。妻と下の子を家に残し、私が上の二人を連れて新年のあいさつに出掛けた。一九八六年(昭和六十一年)の元日である。

 忘れもしない明くる正月二日、あの日は朝からどんよりとした雲が垂れ込め、風の強い寒い日であった。お昼少し前、高熱を発した子供を抱え、掛かり付けの個人病院を訪ねた。もちろん、この日は休診日である。先生だって、出掛けていて居ないかも知れない。たとえ在宅されていても、おとそ気分真っ盛りであろう……。先生に診てもらえるかどうか心配しながら、祈るような気持ちで玄関のブザーを押した。

 そんな私たちに、私服姿の先生は言った。
 「小児科の開業医に正月はありません、さあー、診察室に入って」
 「……」
 先生の言葉を、私たち夫婦は涙が出る思いで聞いた。正に天の声である。白衣に着替えて、てきぱきと手際よく診察する先生。

 静かな口調で先生が言った。
 「肺炎を起こしています、もう少しで手遅れになるところだった」
 「……」

 「紹介状を書いてあげます、すぐに市立病院へ行きなさい。当院では入院出来ないから」

 初めて迎えた誕生日から一か月半、まだよちよち歩きの幼子に、入院という試練が待っていた。

 それからも、先生にはお世話になりっぱなしであった。一〜二年が過ぎたころでも、先生はよくその日のことを話し掛けてくれた。

 「あの日は、朝からどんよりとして寒かったですね」

 「心配だったでしょう。○○くん元気になって良かったですね」、等々。

 一患者のことを、そこまで気に掛けてくれるお医者さん。なんと素晴らしい小児科の先生。年輩で小柄な先生は、優しくて子供に威圧感を与えることもなく、私たち親にもとても親切な先生であった。

 幼稚園に行ってからも、小学校に入学してからも『なんでこの子ばかり』……。とにかく、兄弟の中でも極端に身体が弱かった。

 私たち家族が隣の市へ引っ越しをすることになったのは、下の子が小学校三年生に上がる時であった。それまでの数年間、どれだけこの先生に助けていただいた事だろう……。

 あの正月二日の入院騒動から二十年、三人の子供たちも成人した。身体が弱かった下の子も、相変わらず病院との縁は切れないが、大病を患うこともなく過ごしている。そして今、私たちにとって何より喜ばしいことは、身体の弱かった下の子が、この春から作業療法士として医療機関に従事したことである。

 二十年前、小児科の先生が与えてくれた感謝と感動を、私たちは決して忘れない。いみじくも医療機関へ進んだ子供には、そんな医療従事者であってほしい……。


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