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一般の部
<厚生労働大臣賞>
「めぐりあえて」
牛田 葵(14歳)愛知県東郷町・中学2年


 この夏、私は地域で行われた心肺蘇生競技会に出場した。結果を残す事はできなかったが、気持ちはとてもすがすがしいものだった。この競技会に出場するきっかけは、私の場合ただ「やった事がないからやってみよう」という気持ちより、ずっとずっと強い思いからだった。

 それは二年前の出来事にさかのぼる。二〇〇五年の六月一日。この日は私の父が、愛・地球博の会場で倒れた日だ。突然心室細動を起こし、心肺停止状態になった父は、たまたま居合わせた学生の方々に「AED」を使っていただいて救助された。

 当時小学六年生だった私は、学校から帰宅直後、母から父の心臓が止まった事を聞いた。頭の中が真っ白になった。ただ、今までに感じた事のない恐怖を覚え、号泣するしかなかった。母は、私と弟を決して集中治療室に近づけず、倒れてから二週間程たって、やっと会わせてもらえた。うれしくて涙が出た事を今でも覚えている。二週間は私にとって長い日々で、学校でも家でも、いつも気持ちがもやもやしていた。母の深刻な顔や夜中の泣き声。普段何もする事ができない私でさえ、今自分がどうすればいいのか真剣に考えた。

 その後、父は、体にICDという機器を埋め込む手術をする事になった。もちろん私は手術には賛成だったが、当日は何も手につかない程心配だった。手術が成功した事を聞いた時、やっと安心する事ができた。

 無事退院した父は、講演会を通してAEDの普及活動に参加するようになった。そこで私達家族は、たくさんの医師や看護師、救急救命士の人々に出会う事になった。

 私の中のイメージでは、医師は「病院」という狭い中だけで働いていて、声をかけるのもためらわれるような近寄り難い印象だった。ところが、父の講演会に行った時に、医師の方々や救急救命士の方々とも話をしてみたところ、私がイメージしていた近寄り難い印象は、ただ真剣に働いている顔であっただけで、実際は違っていた。万博会場で裏方の医療を支えていたのは、休みの日に「ボランティア」として働く医師や看護師、救急救命士の方達だった。よりよい方法は何かを常に追い求める姿だった。父を助けてくれたのは、私達家族を助けてくれたのはこの人達だった。決して楽ではない仕事の合間をみつけて、精力的にボランティア活動をする医師達の「パワー」と「熱意」に驚き、そして感動してしまった。私もAED普及に協力してみたくなった。そこで私は、今の自分にできる事を探し、父を助けてもらったお礼に「何かお手伝いしたい!」と思ったのだ。

 そして今年の夏休み。学校行事である職場体験で、私は消防署を選んだ。少しでも何かを学び、AED普及に役立ちたかったからだ。

 ここで心肺蘇生法を学び、競技会に出場する事にした。もちろん出場するからには練習も何回かした。救急救命士の方達は丁寧に何度も教えてくださった。私達の練習したいというお願いに、忙しい中、朝の七時三十分からでもくり返しくり返し教えてくれたのだ。私もその一生懸命さに応えるように熱心に取り組んだ。

 でも、競技会で結果をだす事はできなかった。けれども医師や看護師、救急救命士の人達の「熱意」に、一歩近づけた気がした。それだけでも私はうれしかった。来年も挑戦したいと思うし、この体験で得た数々の事を、今後のいろいろな事にも生かしていけたらいいと思う。

 父が倒れた事は、私達家族にとって試練だったが、医師達のあの「パワー」と「熱意」にめぐり合えてよかったと思う。きっと今日もどこかで、私のようにあの「熱意」に驚いて感動している人がいるだろう。


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