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一般の部
<読売新聞社賞>
「お寿司が食べたい」
白石 恵子(46歳)群馬県太田市・無職


 「マグロが食べたい。生寿司が食べたい」

 この妹のひと言で、母と私は炎天下の街に寿司屋をさがしに出た。

 まだ二十代前半、遊びたいさかりの妹は、末期がんで入院している。食べることが今では唯一の楽しみになってしまっていた。

 タクシーをみつけて乗り込むと、ラジオから今日は今年の最高気温だと流れてきていた。

 まもなくタクシーは一軒の小さな寿司屋の前に停まった。中に入ると客はいない。みるからに頑固そうな店主と奥さんらしき人が、カウンターで海苔巻き寿司を作っている。

 母が進み出て頼んだ。病室で生寿司を待っている重病人がいます、大好きなマグロの寿司を食べさせてあげたいのでにぎってください、と。

 外は暑いがまたタクシーを使って病院まで届ければいい。これで寿司を妹に食べさせられる。母も私もほっとした。

 ところが、店主は首を横にふった。

 「悪いんですけどね、うちは持ち帰りの寿司はにぎらない主義なんですよ」

 店主は手をとめずに冷たく答えた。

 「うちはここで食べてもらわないとね。カッパ巻きくらいならいいですけどね。マグロは出せません」

 母はすがるように続けた。

 「もう明日をも知れない重体の若い娘なんです。生寿司が大好きで、楽しみに待っているんです。どうかお願いします」

 しかし店主はこちらの顔も見ず、だめだと答えるだけだった。母が私に言った。

 「寿司をここで食べよう。ふたりでここで注文すればお店の人もわかってくれて、帰りににぎってくれるよ」

 生寿司を二人前注文した。しかし私は寿司がノドを通らないかわりに大きな声が出た。

 「生寿司を食べたいのは私じゃない! もういつまで生きられるかわからない妹なんだ!」

 「だまって食べなさい!」

 母は私を制した。

 涙がいっぱいで、寿司の味はわからなかった。会計の時に母がもう一度頼んだが結果は同じだった。私は店主をにらみつけたと思う。

 残念そうな顔をして、カッパ巻きとかんぴょう巻きを、妹は何も言わずに食べていた。

 その夜、母が主治医に寿司の一件を語った。

 「私たちは遠くからこの病院に来ていて地理がわからないのです。先生、他にお寿司屋さんをご存じないですか」

 主治医は笑いながらこう言った。

 「あ、その寿司屋、ぼくの行きつけ。この病院の患者が生寿司を買ってきて、すぐ食べずに腹を壊したことがあってね。売らないように頼んでおいたんだよ」

 そんなことがあったならそう話してくれればよかったのに。私たちがお店で寿司を食べていた時、店主も奥さんもうつむいて青い顔をしていた。つらい思いをさせてしまったと心が痛んだ。

 次の朝。病棟の玄関口に、昨日の寿司屋の店主がうろうろしているのを母がみつけた。店主は深々と頭を下げ、メニュー表を母に手渡した。

 「昨日は申し訳ないことをしました。夕べ先生から電話がありました。特別にあの子には生寿司を出前してやれとのことです。電話をしてください。すぐに届けにまいります」

 丸い大きな寿司桶の中の、色とりどりの生寿司を見て、妹は驚喜した。これが欲しかったの、これが食べたかったの、と半分泣きながら生寿司をほおばった。その日からほぼ毎日、出前を頼んだ。それはいつもうちの妹のためだけの特別メニューだった。

 妹が亡くなったのはそれからまもなくのことだった。

 家までは距離があるので、家族は病院が手配してくれたホテルに一泊して、翌日家路につくことになった。

 ホテルの部屋でぼうっとしていると、もう真夜中なのに、ドアをノックする音がした。父が出てみると、そこにはあの寿司屋の店主がいた。手には小さな包みを持っている。

 「これを娘さんにお供えしてください。さっき先生から連絡がありました」

 店主は消え入りそうな声だった。

 こちらも気が動転していて、ちゃんとお礼も言えなかったけれど、わざわざ先生が生寿司を注文して持ってきてくれたということだった。

 あれから二十年。感謝の気持ちを伝える術もなく過ぎてしまったけれど、いつかお礼を言いに行きたい。

 「あのお寿司は妹を救ってくれました」


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