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一般の部
<入選>
「私の先生」
今木 益子(56歳)神奈川県横浜市・薬剤師


 先生、本当に、本当にありがとうございました。この、私の感謝の気持ちを伝える機会は、なくなってしまいました。

 「大丈夫か? 大丈夫か!?」と、私の頬を摩り、頭や腕を摩り続け、「驚かせないでくれよ、大丈夫か?」と言い続けた先生。昨年九月、乳癌の手術から四年一ヶ月の時でした。もう片方に古くからあった良性の腫瘍が少し大きくなったようだと、安心のために取った時、局所麻酔の副作用でショック状態になった時の事です。応える事のできない私に、先生の優しさ、心配が、声や手の温もりから伝わってきました。

 県下では乳癌の術数の多い事で知られ、乳癌の卒業までの年数が長い事もあり、予約をしていても、待ち時間は長くなるばかりです。病棟回診、外来診療、手術と、医師の忙しさは想像を超えるものがありました。

 主治医である私の先生は、関わった患者全てを大切にしていました。我々を治す事が、生き甲斐なのだと聞いた事があります。決して言葉数の多い先生ではありませんが……。

 今から五年前、乳癌が見つかり、先生に紹介されました。説明は、適切で無駄がなく、安心できるものでした。そして入院。看護師さんたちの、看護もむろんの事、心のケアも身に染みるものでした。

 入院中の患者は、幼い子が親を待つように、医師を頼り、縋るのです。医師の体は一つなのに、待っているのです。むろん私もそうでした。

 回診の時の先生の発する一言。その一言で回診後に部屋中に、身を震わす程の笑いをもたらせました。決して上手を言う訳でもないのに笑えるのです。先生と看護師さんたち、そして同室の仲間たちが私の支えでした。

 抜糸もしないままに退院。抜糸後すぐに抗癌剤治療が始まりました。すぐに副作用にノックアウトされ、マットに沈む生活が始まりました。アルコール綿の匂いや、病院に向かうだけで吐いていた日々。

 そんなある日、先生は吐きながら点滴を受けるべく腕を差し出した私に、「見てごらん! あの青い空を! 気分が変わるよ」と慰めてくださるのでした。でも、秋が過ぎ、冬が近づいた頃から、先生は休みがちになり、とうとう代理の先生が診察するようになったのです。入院している仲間から、先生は前立腺癌で入院しながら、病室で受け持ち患者のカルテを見ながら指示を出している事を聞きました。忙し過ぎたのだと思いました。でも、専門の病院にいるのだし、何より医師であることですぐに戻ってきてくれると信じてもいました。

 やがて先生は、点滴をガラガラ引きずり、髪の抜けた頭に手術帽を載せ、病院内を歩くようになり、手術帽のまま復帰なさったのです。先生との診察室での会話は、「先生、いかがですか?」「十キロやせたよ、体重は丁度いいけど、いかんねぇ。風が吹くとよろけるよ」とか、元気になった私に「あなたは鬱をどうやって乗り越えたの?」と聞き、私が「転移しているかも、と思った時、こんな事していられない。どう過ごしても一日。もったいない、大事に生きないともったいないと思ったんです」「そう、それは切ないねえ……」というものでした。また、検査中、髪の生え始めた私の頭を見て、「僕もあなたのようにちゃんと生えてくるだろうか」と呟いた日もありました。

 先生はどんどん元気になり、髪も七三分けになり、私はすっかり安心していました。そして四年、私の良性のしこりを取ってしまおうと言うのです。今までは取る必要はないと言われていたのに、です。そして副作用が出た時の先生の温かさ。翌週、細胞診の結果を聞きに行った時、「大丈夫だったよ。心配なかったから。あなたはまだ医療の現場で仕事しているんでしょう? しっかり自分のところで活躍しなさいね」「でも、同病の方が転移していくのは辛いです」「辛いよねぇ」という話をしました。そしてそれが、先生との会話の最後になってしまったのです。

 今年四月、六月予定の診察を早めるよう、予約を入れた時、二月二十三日に亡くなられた事を知らされました。言葉が出ませんでした。今でも悲しいとか辛いとかいう言葉では言い表す事ができません。

 私のミニ手術をした頃、先生は具合が悪くなっていたそうです。私のミニ手術の意味も理解できました。

 今年に入りすぐに手術を受けた先生は、急に容体が悪くなったそうです。でもぎりぎりまでカルテを整理なさっていたと。

 せめて一言、ありがとうございました、と伝えたかった。これからの事を考えると、心細くてたまりませんが、先生が残してくださった命です。大切に大切に生きようと思います。本当に残念でなりませんが、感謝でいっぱいです。


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