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一般の部
<入選>
「小児科の古狸」
傍島 早苗(34歳)大阪府豊中市・主婦


 私は幼少の頃から気管支喘息という持病を患っており、何かと病院通いが多かった。ひどい時には一年に何度も入退院を繰り返し、通院なんてしょっちゅうで……「私は幼少期の殆んどを病院で過ごしました」と言っても決して言い過ぎではないくらいに、地元にある彦根中央病院小児科の常連患者だった。

 しかし、その病院の院長先生であり私の担当医でもあった小児科の吉田進先生が大嫌いだった。ホント見るからに「古狸」で、とにかく迫力があった。先生に見つめられると蛇に睨まれた蛙のように目がそらせなくなり、あまりの恐怖に泣くのも忘れ「はい、いいえ」としか答えられなくなるような……、余談だが私の中ではいまだに目力チャンピオンである。それほど怖かったのだ。ガアガアと割れたようなデカイ声でいつもガサツに喋り、強引で嘘つきでデリカシーの欠片もなく、少し薄くなってきた黒髪をグチャグチャに振り乱して仕事をしている……、そんな先生だった。物心ついた頃から、ずっとずっと吉田先生だった。

 私がまだ幼かったある日、注射が嫌でギャーギャー泣いていると先生はこう言った。「まだ注射も何もしていないうちから泣くもんやない。する時になったら、するぞ! と教えてやるから痛かったらその時に泣け」と。全くその通りだな……と思った。先生は泣き止んだ私の腕を掴み、服の袖をめくり上げて消毒をしながら「まだやぞ……まだやぞ……まだやぞ……、はい!終わり」。ポカンと口を開けて呆気にとられている私に向かって先生は「もう注射は終わったぞ!! ガハハハハ」と一笑し、毎回お決まりのご褒美だったアメチャンをくれた。なんて意地悪な先生だろう、子ども心にバカにされたことだけは理解できた。

 私はその日「嘘つき」というレッテルを先生に貼った。先生の肩書に晴れて「嘘つき」が加わった。その後も先生の肩書は順調に増え続けた。

 私はその日「私がひどい発作を起こして診てもらった時には「こりゃアカン、すぐに入院せんとお前は呼吸困難で死ぬぞ」と脅かす。それでも私が「入院は辛いから嫌だ」とダダをこねると「先生の言うことを聞け。こんなひどい状態で帰らせることはできへんぞ! はい、入院」と強引に決めるのだ。

 今でも鮮明に覚えている。私は入院が嫌で嫌で仕方がなかった。発作が完治するまで何日間も外してもらえないステロイド点滴の副作用が辛くて辛くてたまらなかった。発作の息苦しさと目眩と吐き気に襲われて何度も何度も泣いた。布団で顔を隠し、声を殺して一泣いた。吉田先生はそんな私の姿を見る度に「苦しいか……、頑張れ。先生が助けてやるからな」と声を掛けてくれた。発作が治まるとすぐに病室まで来て点滴を外してくれた。そして次の日からは一日一回で済む副作用の少ない注射に切り替えてくれた。そんな時、私の中で先生の株は急上昇するのだ。

 なのに私が元気を取り戻した頃、廊下ですれ違うと決まってこう言う。「勉強してるか? お前はただでさえ入院ばっかりしてるから頑張らんとアホになるぞ! ガハハハ」と大笑いするのだ。そして先生の株も一気に下落するのだ。大きなお世話である。強引に入院なんかさせておいて……。入院なんてしなければ点滴の副作用に苦しむことや勉強が遅れることもなかったのに……。そしてまた先生に「無神経」という肩書が加わった。

 頭だっていつもボサボサで身だしなみも気にせずに仕事をする先生を意識するようになった私は、もう五年生になっていた。そしていつのまにか内科の先生に診てもらうようになって、小児科を卒業したのだ。けれども時々、内科の隣にある小児科診察室から聞き慣れた吉田先生の笑い声が聞こえてきて、懐かしくて胸がギュッとなったのを覚えている。ずっと「お世話になりました」と言いたくて、言えなかった。

 今は本当に感謝の気持ちしかない。先生に付けた肩書の数よりも多くの感謝で一杯。

 大人になった私は結婚して地元を離れ、いつしか吉田先生が亡くなったと聞いた。暫く言葉が出てこなかった。

 学校の校内健診で先生に会うと何だか嬉しかった。「おう!」と私を見付けてくれることがとっても嬉しかった。「えぇー、先生が診るの? イヤー!」なんて言っても、ちゃんと先生の列に並んだ。私は先生が大好きだった。先生が何度も助けてくれた私の命、大切にして生きようと強く思った。それが私にできる恩返しになるのかな……。みんなが命を粗末に扱うこの時代に、こんな風にたくさんの人に思ってもらえるのなら私も先生のように多くの人を助けたい、そう思った。先生に付けた肩書は、先生が私を気にかけてくれた証。そういうものをちゃんと胸に埋め込んで、そのような人の温かな気持ちを原動力にして働ける人間になりたい。

 「先生のお腹、狸みたい」「ガハハハ!そうやぞー、これを叩くとお前の病気も一発で治るぞ、ポン!!」


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