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小学生の部
<最優秀賞>
「兄ちゃん係」
成沢 自由(9歳)千葉県印西市・小学4年


 「ちんちくりん」と呼ばれて、ぼくは一生けん命兄ちゃんの後について行った。杖をつく兄ちゃんは、その日まっすぐ前を見ながら、いつもとはぜんぜんちがうスピードで学校のげんかんからとび出した。

 小さいころから兄ちゃんの足はうまく動かない。右手も不自由だ。生まれたときにはもう大きな病気にかかっていた。そのために何度も入院して手じゅつは十三回もした。ぼくは兄ちゃんと十一才はなれていて、ぼくが小学生になると家では「兄ちゃん係」になった。兄ちゃんの荷物を持ったり、必要なものをわたす係だ。

 ぼくは双子でもう一人は希望というが、その希望を「お母さん係」に決めたのは、お母さんは看ごしの仕事のほかに、兄ちゃんの学校の送りむかえをしなければならないからだ。とてもいそがしいので希望はお母さんのお手伝いをすることになった。テーブルをふいてご飯の用意や片づけの仕事がある。希望は本当は兄ちゃん係になりたいようだった。

 兄ちゃんの学校へむかえに行くときは、ぼくがげんかんに行き兄ちゃんのかばんと大きなビニールぶくろを持って来る。そのビニールぶくろには兄ちゃんのオムツが入っている。兄ちゃんが一番切ないのは、自分がオムツをしなければならないことだということをぼくは知っている。足が不自由な上にうんちやおしっこが自分の力でできないのは、それは本当に悲しいことなのに、兄ちゃんはそのことをじっとがまんしている。

 兄ちゃんの同級生がたくさんげんかんから出てきた。そして兄ちゃんとぼくを見ると、
 「おーくせえ、くせえ」
 とひとりの人が言った。ズボンをおしりまで下げた茶色にかみの毛をそめた人だ。でもほかの人は何も言わず通りすぎて行く。兄ちゃんはだまっていたけれど、車へ乗る前に、
 「お母さんにはないしょだぞ」
 と言った。小さかったけれど兄ちゃんがばかにされて、ぼくは家に着くとお母さんに言ってしまった。

 お母さんはだまって聞いていた。後で知ったことだけれどお母さんは全部そのことをしょう知していたという。ぼくは次の日から兄ちゃんのむかえをしなくなった。お母さんの言いつけで行かなくともいいことになる。兄ちゃんがばかにされているところを見たからなんだろう。だから兄ちゃんが卒業して大学に行くまで、ぼくはそのことをずっと覚えていた。

 小学四年生になり兄ちゃんも成人してから、ぼくはあの日のことを聞いてみた。

 「兄ちゃんは寒くなるとおなかの具合が悪くなって、教室でもうんちが出てしまう。気がついたときはトイレが間に合わない。だから『くさい』と言われてもしょうがないんだ。だけどそう言う者はそんなに多くない。ほとんどの人はがまんしてくれる。あの日は自由がいたから、やっぱり兄ちゃんはくやしかった」

 兄ちゃんはぼくを守ってくれたんだ。兄ちゃんは自分ががまんすることで、ぼくにいやな気持ちにさせないようにしたのだと思う。だからたったひとり悲しい気持ちでいたんだろうな。

 ぼくはなみだが止まらなくなっていた。何であのときに兄ちゃんを守ってやれなかったんだろう。兄ちゃんは自分のせいでそうなったのじゃないのに、兄ちゃんはいつもがまんするだけなのか。兄ちゃんはいつも悲しまなければいけないのか。「兄ちゃん教えてくれ」と言いたかった。

 でも兄ちゃんは強かった。どんなにばかにされても、具合が悪くても高校に通い続けた。それは兄ちゃんをおうえんする人もいたからだ。兄ちゃんは努力の人だ。たくさんの本を読んで、人にも親切にしてやさしい気持ちを忘れない。そして大学まで行ったのだから、ぼくの一番のじまんは兄ちゃんだ。

 今でも「ちんちくりん」だけど、兄ちゃんのオムツのふくろはずっと持っていく。そしていつまでもぼくたちは兄ちゃんをおうえんし続ける。だってぼくと希望の兄ちゃんだもの。


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